『名作』的テイストと新海キャラのやわらかさが融合したデザイン
■『星を追う子ども』のキャラクターデザインのポイントは。
西村
「今回のキャラクターは、これまでの新海さんの作品とはずいぶん印象が違って見えるんじゃないでしょうか。前作『秒速5センチメートル』のときは、とにかく新海さんの絵のタッチに似せようとしたんです。『ほしのこえ』の絵にできるだけ近付けようと。新海さんが一人で作っているんじゃないかと勘違いされるぐらいを目指してました(笑)。でも今回は、新海さんから「『世界名作劇場』(以下『名作』)の路線で」という希望もあったので、『名作』的なテイストと新海さんらしさの中間をさぐりつつ自分のカラーも出してみようと思いました。」
■ちょっと懐かしい感じもしますね。
西村
「記憶の中にある『名作』のキャラクター、という感じですかね。昔見ていた世界名作劇場、僕の世代だと『赤毛のアン』『トム・ソーヤーの冒険』、あるいは『アルプスの少女ハイジ』とか、ああいった伸びやかなキャラクターがいいなと。関(修一)さんや近藤(喜文)さんや小田部(羊一)さんが描くようなキャラクターですね。そういったテイストと、新海さんの絵の持っているやわらかさを組み合わようと。」
■やわらかさ、ですか。
西村
「新海さんというと、『ほしのこえ』にロボットが出ていたから、シャープなアニメーションの人、というイメージを持つ人もいるかもしれないけど、実はすごくやわらかい絵を描く方なんですよ。その部分をうまくブレンドして、僕なりの解釈でキャラクターを作りました。」
■シナリオを読んでキャラクターのイメージをふくらませるんですか。
西村
「今回はイメージボードですね。絵コンテができる前に、新海さんが描いたイメージボードがたくさんあったんです。新海さんの中でイメージが固まっていたので、キャラクターに関してそんなに迷うようなことはありませんでした。シナリオや絵コンテは毎週会議をして煮詰めていて、今まで以上に新海さんの「助走」の意気込みを感じましたね。で、シナリオを読んだ段階で、これは作画が今まで以上に大変だぞと。」
■『秒速~』よりも大変そうでしたか。
西村
「『秒速~』の大変さとは違う種類の、ガチのアニメーションとしての大変さ、ですね。キャラクターを動かして作るアニメーション、という意味で。『秒速~』のときは、繊細な表現を突きつめようとしていたんです。例えば、普通ならもっと簡単に作れるシーンでも、できるかぎり繊細な芝居を突きつめてみようと思って描いていたんですが、今回はどうやっても大変なカットばっかりで(笑)。生活芝居だけでなくアクションシーンも多いし。いろいろ自分の中に引き出しがないとできないな、とか、信頼できる上手い原画の方に入っていただかないと、とか、最初からスパートかけないと終わらないんじゃないか、とかいろいろ考えて、絵コンテがまだ途中の段階で作画作業に入りました。とにかく量が多くて余裕がまったくなかったですね。ずっと猛スパートで仕事していたので、あんまり去年の夏の記憶がないんですよ。」
■記録的な猛暑でした。
西村
「なんとなく暑かったなあ、というぐらいしか覚えてないです(笑)。なんか、夏、長かったですよね?」
■そうですね、9月に入ってもしばらく暑かったです。
西村
「ちょっと涼しくなってきたころに、ようやくぼんやりとゴールが見えてきたので、「猛スパート」から「普通のスパート」に切り替えて(笑)。で、昨年末にいちおう一段落して、年を越してからリテイク作業をやって、一昨日、仕事が終わったところです。ここ数年ずっと仕事の区切りがなかったので、今年は久しぶりに正月気分を味わいました。」
誰と一緒にいるかで人の顔は変わる。アニメのキャラもそれは同じ
■作画監督というのは具体的にはどういう作業なんですか。
西村
「まず最初に新海監督と原画さんと一緒に作画打ち合わせをしたあと、原画さんが画面の設計図となるレイアウトを切ります。シーンによっては3Dなどでベースがある場合もあります。そのレイアウトの上に新海さんの演出の指示がのります。僕はその指示の意向をくみとって、キャラクターを描いたり、芝居の参考を描いて、原画さんに戻します。その後、原画があがってきたら、クイックチェッカーというソフトに取り込んで監督と一緒に原画の動きをチェックして、そこで監督から出た指示を僕がまとめる、というような流れです。」
■新海監督の演出の指示というのはどんな内容なんですか。
西村
「新海さんはディレクションが細かく、正確で、ちゃんと「なるほどな」って分かることが書いてあります。頭の中で整理されてるからでしょうね。迷ってふくらませすぎたり、逆に萎縮しすぎたり、というようなことがないんです。カットごとに「ここはこういう感情だから、このぐらいの芝居にしてほしい」っていうような感情的な部分の指示と、それから表情の指示も多いですね。例えば「もうちょっと悲しそうに」という指示にしても、「ここはこういうシーンで、こういう感情だから、もうちょっと悲しそうに」と書いてあるので、理解できる。やっぱり納得できると絵って描きやすいんです。ただ単に「もうちょっと悲しそうに」とか言われても、どこが「もうちょっと」なのか分かりませんから。新海監督は当たり前だと思ってやっていることなのかもしれないですけど、意外とそんなふうに正確に書いてくれる人はそんなにいないと思いますね。」
■監督からの演出の指示は文章で書かれているんですか。
西村
「そうですね、言葉が多いですね。でも今回は監督自身も、かなりの量の絵を紙に描いてましたよ。アナログ作業が多くて、完全デジタルに移るまでのほうが長かったんじゃないでしょうか。あんなに鉛筆で描く人なんだ、と思うぐらいたくさん描いてましたね。やっぱり監督が描くと細かいニュアンスがよく分かるんです。それをキャラクターの設定にそって僕が直していくんですが、そのニュアンスを代弁するような気持ちでやっていました。新海さんの描く絵の線が走ってて、勢いがあって、「お、新海さん、ノってるなー」って分かって楽しかったですね。」
■今作の主人公アスナは小学生の女の子ですが、これまでの作品と比べてなにか演出面での変化はありましたか。
西村
「今回は新海さんの中の違う引き出しの部分なんだろうな、と感じましたね。主人公像も一歩進んだな、と。ここまで伸びやかなキャラクターを主人公にはしてこなかったんじゃないでしょうか。これまでの新海作品における「内向的な男性」という性格はモリサキが担っていると思いますが、アスナも一人でいるときには時々内面を見せる。そういうときの表情なんかは非常に新海さんらしいんですが、今回はそれ以外の表情も出そうとしていっている。すごく味わいが違うけど、でもこれも新海さんの映画なわけで、面白いバランスだなと思いますね。キャラクターをデザインするときに監督とも話し合ったんですが、「アスナが一人でいる時の顔と、他人の前にいる時の顔と、ミミと一緒にいる時の顔は違うんです」と新海さんは言うんです。これって、実生活でも、みんなそうでしょう。誰と一緒にいるかで顔が変わる。誰々と一緒にいるから、こういう感情になって、こういう表情になる。それを作画で表現するわけです。例えば、普段は一重まぶたの設定のキャラでもカットによって意図的に二重にしたり、下まぶたの下にさらに一本線を加えたり。そういうことを丹念に積み重ねていくことで、人物像がより深まるんだと思います。」
女子より作画!? アニメーション部でセルアニメ作りに熱中
■新海監督との出会いを教えてください。
西村
「2003年に『雲のむこう、約束の場所』に原画として参加したのが最初です。以前、僕が別の作品で今作のプロデューサーと仕事をしたことがあって、そのご縁で声をかけていただき、『雲~』のパイロットムービーを見たんですが、すごく説得力のある絵で驚いたんです。美術も美しいし撮影もすごい。「この絵に(自分が描くキャラクターが)のるんだったら是非やりたい」と思い、原画をやらせていただきました。」
■『雲~』の頃は作画スタッフは自宅作業だったんですよね。
西村
「そうですね。美術と撮影のスタッフは新海さんの家に泊まり込んで仕事していたそうですが、僕は自宅作業でした。作画監督の田澤(潮)さんとも打ち合わせでしかお会いしていなくて。で、最初は原画だけやっていたんですけど、田澤さんが一人で作監をするのが大変ということで、作監補佐をやることになって。自宅にドサッと作画が入った段ボールが届いてですね、プロデューサーから「とりあえず気になったところを直しといて」って、ざっくりとした注文が。」
■本当にざっくりですね(笑)。
西村
「「これ、勝手に直していいのかな」って不安になりましたよ。それまで作画監督ってやったことがなかったので。」
■初めてだったんですか。
西村
「そうですよ。知恵熱っていうか、リアルに熱出しました(笑)。で、『雲~』が終わった後『あらしのよるに』(杉井ギサブロー監督)の原画に参加して、その後『秒速5センチメートル』に入りました。『秒速~』は楽しかったですね。新海さんの家、といっても普通のマンションの一室なんですが、そこに毎日みんなで集まってワイワイ作業して。まるで部活みたいな感じでしたね。僕、実際に高校生の時アニメーション部だったんで、文化祭前のあの頃みたいだなって。」
■えっ!アニメーション部なんてあったんですか!?
西村
「というか、アニメーション部があったからその高校を選んだんです。中学3年のときに高校見学っていう行事があって、家から少し離れたところにある新設校を見に行ったんです。できてから5年しか経っていなくて校風が自由だったし、それになにより部活でセルアニメを作っている先輩たちがいたんです。セルアニメなんて自分一人じゃ絶対に作れませんから、ここだ!って思って、その高校に入りました。」
■どんなふうに作っていたんですか。
西村
「普通のセルアニメと同じやり方です。原画を描いてトレースして絵の具で塗って、背景を描いて重ねて撮影して。今みたいなデジタルビデオなんかなくて8ミリフィルムで撮影ですよ。でもまだタイムシートとかそういうものを知らなかったから、カンで「ここは2コマ!」とか(笑)。そんな感じで撮影して、編集して、映写機で上映していました。」
■どんなストーリーだったんですか。
西村
「お話なんてないですよ。当時のテレビアニメのロボットとかがとにかくワーッと動いてる(笑)。僕の1つ上の先輩で、金田(伊功)さんのフォロワーの人がいて、金田アクションを描ける人だったんです。その先輩から影響を受けましたね。先輩にDAICONのオープニングアニメのビデオを見せてもらって、これはすごい、こういうのをやりたい、と。それで文化祭に向けて作品を作ったんですが、夏休みだけでは塗りが全然追いつかない。セルが1000枚とかあって。」
■1000枚!大作ですね!
西村
「ほんとにねえ(笑)。後輩や他の高校の友達にうちの制服を着させて部室に集めて手伝わせたりとか(笑)いろいろしたんですけど、それでも間に合わなくて。新学期が始まると、もう夜中に撮影するしかないわけです。夜撮影して、昼間は学校で寝て、また夜撮影して。」
■濃い毎日ですね(笑)。
西村
「そうですね、今思うと。すごく面白い毎日でしたね。でもセルアニメを作れるなんて、そんな機会めったにないじゃないですか。自分で作ろうと思ったらいくらお金があっても足りないでしょ。それが部費で作れるわけですから。生徒会と部費の交渉をするときも「どれだけセルアニメはお金がかかるか」を必死に訴えて。生徒会の予算担当の子と個人的に仲良くなったりとか裏交渉して(笑)予算確保のために頑張りました。」
■部員はどんな人が多かったですか。
西村
「女の子が多かったですね。同学年の男子は4人だけだったかな。」
■えっ!そうなんですか。それは楽しそうですねえ。
西村
「でも一緒に制作していたわけではなくて、男子と女子で別々に作品を作っていたんですよ。やってることが全然違うんです。女子は漫研と兼部してる人も多くて、叙情的で雰囲気のある作品を作ってましたね。一方、男子はウワーッと動くアニメ(笑)。2つ下の後輩に山田起生くん(「夏目友人帳」妖怪デザイン、「デュラララ!!」メカデザイン・アクション作監など)がいるんですけど、山田くんは動かすのがすごく上手かったですね、最初から。」
■部内恋愛とかは……。
西村
「いや、当時は女の子よりもアニメを作るのに夢中でしたからね。「アニメージュ」とかで情報収集して、テレビアニメを見ながら「ああ、この回は○○さんの作画だからやっぱり動きがいいな」とか、そういうことばっかり考えてて(笑)。ストイックな感じでしたね。」
■島本和彦さんのマンガ「アオイホノオ」のような感じですね。
西村
「まさにそうです、ああいう感じ。「アオイホノオ」の中で、主人公たちがアニメショップのモニターの前に立って、ずっとテレビアニメのオープニング映像を見てるっていうシーンがありますけど、「ああ、おんなじことやったことあるわー」って思いました(笑)。」
自分が描く動きに夢中になってほしい、それが初期衝動
■小さい頃からアニメに興味があったんですか。
西村
「小学生の頃の夢はマンガ家でした。藤子不二雄のマンガが好きで、マンガは2人で描かなきゃいけないものだって思って、友達とコンビを組んで描いてました(笑)。夏休みの宿題の自由工作にマンガ本を作って提出したり、パラパラ漫画もよく描いていましたね。「巨人の星」の大リーグボールを投げるシーンをパラパラ漫画で表現しようとしたり。」
■おお!すでにアニメーターの片鱗がうかがえますね。
西村
「僕はパラパラ漫画を読んでいる人の顔を見るのが大好きなんですよ。たいてい、一度パラパラッと最後まで見たあと、何回も自分のペースで見直すでしょう。一コマ一コマじっくり見る人もいれば、バラッバラッと何度も素早く見る人もいる。で、たいてい、そういうとき人は口があいているんですよ。ぽかーんと。何かに夢中になってるときって、人は口があくんですね。その表情を見るのがすごく好きです。自分が描くものに誰かが夢中になってるっていうのがたまらないんですね。たぶんそれが自分の中の初期衝動です。」
■西村さんが最初に夢中になったアニメーション作品は。
西村
「劇場版『銀河鉄道999』(りんたろう監督)ですね。小学5年の時に映画館で見て衝撃を受けました。このときにはっきりとアニメーションというものに興味を持って、中学でアニメーション部に入って……。」
■えっ、中学もアニメーション部なんですか。
西村
「あったんですよ、なぜか。でも誰もちゃんとしたアニメの作り方を知らなくて、紙や黒板に描いた絵を映研から借りてきた8ミリカメラで撮るだけ。だから、パラパラ漫画ふうの映像にしかならなくて。なんだかなあって思っていたところで、セルアニメの部活のある高校を知ったものだから「本格的なアニメを作れる!」ってうれしかったですね。」
■そしてそのままアニメーション業界に……。
西村
「最初は美大とかも考えていたんですけど、高校を卒業するころには「アニメをやりたい」っていう気持ちが強かったので、国際アニメーション研究所っていう2年制の専門学校に通いました。その後、『ガンバの冒険』などの作画監督の椛島(義夫)さんがいらした「スタジオ古留美」というスタジオに入りました。椛島さんにいろいろと教えてもらいながら、動画を半年、原画を2年半やったんですが、作画部が縮小になったのでフリーになりました。その頃に『名犬ラッシー』や『家なき子レミ』といった名作劇場の原画やワーナーの『バットマン』の原画などをやったんです。それで、ディズニーのアニメーションやりませんかっていうお話をいただいて、「バットマンの延長線上みたいな感じかな」って思って(笑)ウォルト=ディズニー・アニメーション・スタジオ・ジャパンに入りました。」
■ディズニーではどんなお仕事をなさっていたんですか。
西村
「ビデオリリースの続編ものや劇場版『ティガー・ムービー』の原画などですね。でもディズニーのスタジオが解散になって、それをきっかけにまたフリーになりました。『星を追う子ども』で作画監督と原画をお願いした土屋堅一さんが劇場版『ティガー・ムービー』の作画監督だったんですが、本当に上手い方なんですよ。今回も、すごく動きがしなやかで、素晴らしいんです。土屋さんにお願いできて本当によかったなと思いますね。」
贅沢な音楽によってさらにスケールが深まった新海ワールド
■西村さんは『雲~』以降ずっと新海作品に関わってらっしゃるわけですが、新海監督の印象は変わりましたか。
西村
「作品ごとに変わってきてますね。僕が言うのもなんなんですが、『秒速~』のときよりも大人っぽくなりましたよね(笑)。『秒速~』のときの新海さんって、もっとやんちゃな感じだったんです。「すぐにでも職業を変えてもいいや」っていう感じと「一つのことは絶対投げ出さない」っていう感じが不思議と同居しているイメージで。「この人はもう次の作品は作らないかもしれないな」っていうような空気もあったり。だけど今回は、まったく動じない感じでしたね。前回よりも仕事的にはずっと大変だったと思うんですけど、あせってなくて、「あ、まだ余力があるんだ」って驚きました。どっしり肝が据わったんでしょうね。堂々たる監督だと思います。って、偉そうに言ってすみません(笑)。」
■その変化は作品にもあらわれているんでしょうか。
西村
「そうかもしれませんね。『星を追う子ども』は、新海さんの映画の中でも群を抜いてスケールが大きい作品だと思います。物語の器も、内面的な意味でも。そしてそれに見合った美術の深い力と、なんといっても音楽が素晴らしいんですよ。さっき僕が最初に衝撃を受けたアニメ作品は『銀河鉄道999』って言いましたけど、それもやっぱり音楽がすごかったんです。今回の『星を追う子ども』の音楽もすごく贅沢で、絵で表現する世界観と対等に、あるいはそれ以上に、音楽が映画を支配していると思います。すっぽりと包まれるようなこのスケール感をぜひ劇場で、良い環境で、感じてほしいですね。子どもに最初に体験してほしい、最初にハマった映画がこれであってほしい、そんな作品です。口をあけてぽかーんと見てもらえたら最高ですね。それが夢中になってる証拠ですから(笑)。」
【インタビュー日 2011年1月19日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】 |