じかに人に触れたい。その人のまわりにある空気を感じたい。そこから曲作りが始まる。
■今回、熊木さんが『星を追う子ども』の主題歌を手がけることになられたきっかけは。
熊木
「以前別の仕事でお世話になった小川さん(音楽プロデューサー)から声をかけていただきました。「これからの熊木さんの新しい展開、新たなスタートとして、新海監督の映画の主題歌を作ってみないか」とお話をいただいたんです。とても嬉しくその場で「ぜひ!!」と答えました。ただ小川さんからは、「この映画はすごく繊細な内容なので、監督とやりとりを積み重ねて柔軟に取り組むという姿勢で作らないと難しいかもしれない」とも言われました。それで私は「監督とお会いして直接お話ししたいです!」とお願いしました。」
■熊木さんのほうからそうおっしゃられたんですね。
熊木
「はい。メールのやりとりなどよりも、まず「新海監督という人そのものにじかに触れてみたい」という思いがありました。作業中のスタジオにも何度かお邪魔させていただきました。実際に映画が生み出されてゆく作業場の雰囲気や、新海監督やスタッフの方々の働いてらっしゃる後ろ姿からフワーッと出ている“なにか”を感じたくて……。その場に浮いている空気から、この作品がどういうものなのか、新海監督がどういう方なのか、きっとなにかうかがえるんじゃないかと思ったんです。」
■もともと新海監督のことはご存知でしたか。
熊木
「ええ。以前、レコード会社のスタッフから新海作品のDVDをいただいたんです。それで、新海監督の作品を初めて見ました。実はちょうど同時期にファンの方からも「新海監督の作品と熊木さんの音楽は、なにか通じるモノがある」と言われて同じDVDをいただいたりしたこともあって。でも私自身は、通じるモノがあるかどうかということよりも、ただただ新海監督の世界観に圧倒され、「すごい人がいるなあ」と感じていました。」
■実際に会ってみて、新海監督の印象はいかがでしたか。
熊木
「すっごくチャーミングですよね! 明るくて、よくしゃべる方で、口から出てくる言葉の流れがすごく心地よかったです。新海監督の言葉そのものがまるで詩みたいに私の心の中にスウーッと入ってきて、言葉に嘘がないな、と感じました。それで、「ああ、新海監督の作品というのは、新海監督そのものなんだな」って思ったんです。どの作品にも共通していることだと思いますが、新海監督の作品は「嘘をついていない」という感じがします。「これはアニメだから」とか「映画だから」といって何かを誇張したり、ごまかしたりするようなことがない。だから、ただ明るくて元気なアニメではないし、明確なハッピーエンドが訪れるわけでもない。「出会いとはこうだよ」とか「別れとはこうだよ」とわかりやすく言ってくれるわけでもない。非常に人間的なところでもがいている映画で、それって表現として一番難しいことだと思うんです。」
■ありのままを描いている、ということでしょうか。
熊木
「そうですね。でもただ単に「ありのまま」なのかといえば、そうじゃない。現実をそのまま切り取るだけでは作品にはならないですよね。「ありのまま」を、新海監督という「人」を通して表現することによって、感動であったり安らぎであったり、様々な感情を伝えるエンターテイメント作品として昇華することができる。まさにプロフェッショナルなんだと思います。「ああ、この時間が止まればいいのに!」というような瞬間をとらえて、感情や風景や光、色、においに至るまで、まるで永遠であるかのように表現するのが素晴らしいなって。だからこそ、新海監督の作品はたくさんの人の心を打つんだと思うんです。『星を追う子ども』もまさに新海ワールドの作品で、そのエンディングに私の歌が流れるわけですから、私も嘘をつくことのないように、ありのままの感情を歌という表現で伝えたいと思い、曲を作りました。」
アスナが感じた希望、それを伝える「Hello Goodbye & Hello」というフレーズ
■新海監督の絵コンテを読まれて、いかがでしたか。
熊木
「絵コンテというものを初めて読んだのですが、まるでマンガみたいに緻密に描かれていて、絵コンテそのものが一つの作品のようで面白かったですね。ところどころ、新海監督のつぶやきみたいな言葉が書かれてあるのも楽しかったです。「おかずのアイデア募集」って書いてあったり、「ここはCG?」「広角のほうがいいか?」とかご自分で意見をメモられていたり。「ここにすべてが詰まっているんだな」って思いましたね。絵コンテはすべて新海監督が一人で描いてらっしゃるんですよね。まるでこっそり新海監督の頭の中をのぞいているような気持ちになりました(笑)。実は今回、アニメーション作品の主題歌ということで、少しだけ不安や戸惑いもあったんです。私の曲は、私自身が抱えている感情や、この世界に生きている生身の人間の気持ちを歌うことが多いので、「はたして創作された“キャラクター”の心情を歌えるのだろうか?」と……。でも、絵コンテを読み、新海監督とお話ししているうちに、「あ、やっぱり新海作品の登場人物は、新海監督そのものなんだな」と分かって、私は新海監督から感じたことを曲にしていけばいいんだ、と納得しました。ですので、実際に曲作りの作業をしているときには、キャラと人間の違いというようなことを特に意識することはありませんでしたね。」
■新海監督から、主題歌について「こうしてほしい」という要望はありましたか。
熊木
「主題歌のイメージについて、新海監督から特に具体的なお話はありませんでした。私としても「こちらからまず一曲、監督に渡してみよう」と思い、すぐに作曲作業に取り組んだのですが、物語の途中のアスナちゃんに感情移入しすぎてしまって、あまり明るくない曲になってしまったんですね。まるで童謡とか校歌みたいな雰囲気の曲になってしまって(苦笑)。そうしたらやはり新海監督から「ちょっと暗いですね」と言われてしまい、もう一度絵コンテを読み直しました。ラストシーンのアスナの言葉と表情に込められた意味に、もっと焦点を合わせて曲を作ってみようと。アスナが旅を経て感じたかすかな希望、それを歌で伝えることができれば……と思ったそのとき、フッと頭の中に浮かんだのが「Hello Goodbye & Hello」というメインフレーズでした。詞とメロディが同時にすらすらっと出てきて、「あっ、これだ」と。でもこれがすんなり主題歌として決まったというわけではなく、メロディのOKはすぐ出たんですが、歌詞に関しては監督から一度ダメ出しがあったんです。」
■どういった内容でしたか。
熊木
「「ちょっとズバッと言いすぎているのではないか」と言われましたね。その後「こういう感じで書き直してみてはどうか」といくつかヒントになるようなメールを監督からいただきました。ですが、内心、監督自身もどういう主題歌にするのがいいのか、少し迷っていらっしゃるように見えたんです。私としては、やはり最初に浮かんだ歌詞のほうがメロディと一致していて間違いなくいいなと思っていたんですけど、「こっちのほうがいいのでは」とは言わず、メールを参考に歌詞を書き直したバージョンも作って新海監督にお渡ししました。やはり監督自身が納得してくれないとイヤだなと思いましたし、私もチャレンジすること自体はまったく苦ではありませんでしたから。ただ、きっと監督もまだ何かにたどり着く途中で、落ち着いたら次の展開がやってくるだろう……という思いで、私としては「待ち」の態勢でした。そうして結果的に、「やっぱり初めのバージョンの『Hello Goodbye & Hello』にしましょう」と監督から言われたんです。待っていてよかったなと思いましたね。」
自分の中にたまった感覚や経験が、曲として変換されて出てくる。
それは、自分と世界との境目がなくなった瞬間。
■熊木さんが曲を作るときや歌うときにいつも心がけてらっしゃることはありますか?
熊木
「「自分のことを信じる」ということが一番大きいですね。自分を疑ってはいけない。それをはじめると、自分の言葉もメロディも信じられなくなるから、歌うことができなくなってしまいます。それと、自分と世界のあいだに境目を作らないということですね。曲を作るときもかっちりと「今、私、曲を作っているんだ!」というのではなく、「この世界の中に自分がいる」という境目のないフラットな状態であるという意識……たとえば今回の主題歌にしても、全部自分の力で作ったということではなく、新海監督からふわふわーっと出ていたものをもらい受けている感じもありますし。「世界の一部としての私」、そういうフラットな意識というものをいつも持っていたいと思いますね。」
■歌詞というのはどのように浮かんでくるのですか。たとえばノートなどにアイデアを書いたり……。
熊木
「いや、日記や手帳に詩のアイデアを書きためておくとか、そういうことはしていません。私はものすごく忘れん坊なんですけど、忘れることに対して「もったいない」とは思わないですね。むしろ、外に出さないほうがいいような気がしているんです。自分の内側にいろいろな感覚や経験をためておけば、何かのときにそれが曲に変換されてきっと出てくる。ある種の貯蓄のようなものなんじゃないかなと思っています。今回も、アスナの心情に寄り添って曲を考えていたときに、アスナだって、別れの後いきなり前向きな希望を持てたわけじゃなくて、結構うじうじと悩んでいるわけですよね(笑)。私自身の経験でいうと、たとえば好きな人と別れて落ち込んだときに、しばらくうじうじと考え込んで、でもやっぱり最終的には「よし!」と次の恋愛に向かってゆく。そういうふうに自分がこれまでに経験したこととアスナの気持ちを重ねて、歌詞が生まれているんじゃないかと思います。だから、曲の出だしのほうは、うじうじした歌詞になっていますよ(笑)。」
■普段経験してらっしゃることが歌詞にいかされているんですね。
熊木
「とは言っても、別にいつも「何かを感じなくっちゃ!」という気持ちで生きているわけじゃないですけどね(笑)。だって、きっと私たちは普通に生きているだけで、日々の生活の中でじゅうぶんにいろんなことを考えて、感じているはずですから。そういうものが自分の中に知らず知らずのうちに積み重なっていて、何かがきっかけで、フッと外に出てくるんだと思います。たとえば今回新海監督の絵コンテを読んで、「喪失」というキーワードが頭の中に浮かんだんです。それがきっかけとなって、言葉がポロポロッと出てくる。だから、私の場合、自分の中にインプットする情報はできるだけたくさんあったほうがいいみたいです。新海監督とお話しして、作画スタジオにもお邪魔して、スタッフさんと会って、絵コンテも読んで、監督とメールのやりとりをして、アスナの心情を考えて、自分の経験も重ねて……といろんな情報が自分の中にパンパンにあって、それを咀嚼したあと、一瞬「世界と自分がフラットになる瞬間」が訪れるんです。その時に、曲が頭の中にフワッとおりてくることが多いですね。」
■曲作りのためにどこかに行く、というようなことはないのですか。たとえば海外など……。
熊木
「うーん、そういうことはないですねー。「何かをしないと曲を作れない」っていうふうに自分を限定するのがイヤなんです。あっ、でも曲を作るのはいつも自分の家のちゃぶ台の前ですけど(笑)。これはずっと変わっていません。だから、「ちょっと曲を作るためにイタリアに行ってきます!」とかそういうことはしません。もともと、「何々のために」って目的を持って何かをすることがあまり好きではないんです。ごはんを食べるにしても、「○○のために」とかじゃなくてただ単に「食べたいから食べました!」っていう感じ。だから、もし私が言うとしたら、「ちょっと遊びにイタリアに行ってきます!」かな。イタリアに行くまでの途中の時間や場所でも、きっとさまざまな出来事があって、そこで感じたいろんなことがいつの日か何かのタイミングで自分におりてくると思うんです。新海監督は前作『秒速5センチメートル』の公開の後、外国に行ってらしたんですよね。私はわりと妄想派で、普段から頭の中だけでいろいろ考えるタイプなので、新海監督みたいにバッと行動ができちゃう方というのはすごいなーと思います。思い切りのよさというか。」
■中東でアニメ作りのワークショップをおこなったあと、イギリスに1年ほど滞在していたそうです。新海監督もイギリスで仕事をしていたわけではなく、英語学校に通ったり、町をぶらぶら歩いたりしていたそうですよ。
熊木
「へえー、そうなんですね。でもきっと、そのイギリスの生活の中で感じていたことが新海監督の中に無意識のうちに積み重なっていて、それは今回の作品にもきっと投影されているんじゃないでしょうか。そんなふうに感じますね。」
歌手志望なのに着ぐるみ!? 思い込みでオーディション合格!? 熊木さんのデビュー秘話
■熊木さんも、新海監督と同じく、長野県出身なんですね。
熊木
「はい、長野県の更埴市(現・千曲市)というところで生まれて、11歳のときに父の転勤で東京に引っ越してきました。なので、中学と高校は東京なんです。女子校だった高校時代、同じ女子同士でも考えていることが違っていて、友達とどう接したらいいのかわからなくなったんです。そういうときに「自分はいったい何を考えているんだろう」と自分自身を見つめ直すために、歌詞を書いて、曲を作り始めました。それと同時に、曲を通じて友達に「私はこういうことを考えてるんだよ」っていうことを知ってほしいという気持ちもありました。」
■作った曲は、どこかで演奏していたのですか?
熊木
「時々友達の家で歌うことはありましたが、特に大勢の人に聞いてほしいと思って曲を作っていたわけではないので、基本的には家で、心の中で歌っていました。」
■心の中で、とは?
熊木
「弟がいるのですが、実家がせまくて弟と一つの部屋を共有していたんです。それぞれのスペースをただカーテンで仕切っているだけだったので、家では声を出して歌うことができなかったんですよ。カーテンを開けると、弟のほうはなんというか、ケモノくさいんですよね(笑)。シャーッとカーテンを閉め切って、自分の世界にこもって、作った曲を心の中で歌うというクセがつきました。そして16歳のときに、父に勧められてタレントスクールの歌手部門に通うようになったんです。そこでは本当にいろんなことをやりました。歌手部門なのに着ぐるみを着て踊ったり、舞台のお芝居にも挑戦したり。なんかもう、「全部やる!」という感じでしたね。今ふりかえるとオモロイですけど(笑)当時はなかなか大変でした。」
■絶対に歌しかやらない!というわけではなかったのですね。
熊木
「そうですね。当時は、プロの歌手として食べていくぞ!というような確固たる思いがあったわけではないんです。自分のやりたいことがはっきりしていない時期だったので、それがわかるまで、いろんなことを経験させてもらって。スクールの先生方も、「いろいろやらせてみて、可能性を見てみよう」ということだったんだろうと思うんですけど、水着グラビアのオーディションはさすがに「絶対ムリです!」って泣いて断りました(笑)。そのうちに、だんだん「自分の言葉で歌っていきたい」と思うようになって、スクールで自分が作った曲を歌うようになったんです。そしてテレビ番組の音楽オーディションを受けることになって、運よく最終審査まで残り、そこで自分で作った曲を披露しました。自分の曲を大勢の人の前で歌ったのはそれが最初でした。それで合格してデビューが決まって、「ああ、私はこれで生きていくんだ」と思いました。それが19歳のときです。」
■オーディションに受かる確信はありましたか。
熊木
「その最終審査の前日に雑誌の占い欄を見たら、「人生の転機です」って書かれてあって、私はそれを鵜呑みにして、見事に合格したんです。でもよく考えたら、「人生の転機です」なんてしょっちゅう書いてあることですよね。そんなこといったら、毎日あっちこっちに転機は転がっていると思うんですけど(笑)。でも私は、けっこう思い込みで生きているので(笑)、「人生の転機」っていう言葉を信じて強気でオーディションに立ち向かっていけたことがよかったんだと思います。」
信じて待っていてくれる人がいる。
だから、自分が信じたものをずっと信じ続けることができる。
■デビューされてからまもなく10年になりますが、今後「これをやってみたい」ということはありますか。
熊木
「具体的に、デビュー10周年だからこれこれをやりたい、というようなものは特にないんですよ。でも、いろんなことに挑戦してみたいなという気持ちはいつもありますね。いつか本を書いてみたいなとか、詩集も出してみたいですし、声優もやってみたいな、とか……。」
■声優も! それは新海監督には伝えたんですか?
熊木
「いえいえ、まさか! 言ってないですよー(笑)。でも、いつの日か、なにか機会があれば……。だけど、新海監督の新作をずっと楽しみに待っている皆さんがいるように、ありがたいことに私の歌を待っていてくださるファンの方がいますので、私の基本はやっぱり歌ですね。「自分で詩を書いて、メロディをつけて、歌う」という“三位一体”が、自分が一番最初に信じたものなので、シンガーソングライターであることにこだわりたい。自分の言葉と歌で、思いを伝えてゆけたらと思っています。」
■熊木さんが『星を追う子ども』の主題歌を歌われるということが発表されたとき、まわりの方の反応はいかがでしたか?
熊木
「私に新海監督のDVDをくださった方もそうですし、「新海作品が好き」という私のファンの方がとても多いので、『星を追う子ども』の予告編を見て「映画がすごく楽しみです」という声がたくさん届いています。新海監督にとって4年ぶりの新作なんですよね。4年……作りたい気持ちが持続するというのはすごいなって思います。だけど、ただ単に作りたいと思い続けても、映画ってそれだけじゃ完成しなくて、まわりの人たちと一緒に作り上げていくものでしょう。新海監督は、いろんな方が自分の作品に関わってくれていることにすごく感謝してらっしゃいますよね。作画スタジオにお邪魔したときも、新海監督は『スタッフやファンの方たち、たくさんの人が作品作りを支えてくれている』という意識をいつも持ちながら楽しそうに仕事してらっしゃる姿がとても印象的でした。私も、レコード会社移籍のことなどもありましたが、ファンの方たちが私の歌をずっと待っていてくださって、また皆さんの前で歌えることがすごくすごくありがたいし、幸せだなって思います。この「Hello Goodbye & Hello」という曲が、公に出す新曲としては1年ぶりとなりますので、本当に楽しみですね。」
■最後に、熊木さんから見た『星を追う子ども』の見どころは。
熊木
「とにかく、映画館で見て、感じてほしいですね。人によってこの映画から感じることはちがうと思うんですが、その人が感じたことが、新海監督がその人に伝えたかったことだと思うんです。ですから、最後に流れる私の歌がそれに加えて何かを言うというよりも、映画館を出るときにそっと希望が心に残るように、「よしっ」と次に歩んでゆけるように……そう願っています。今後はライブなどでも「Hello Goodbye & Hello」を歌っていくつもりですが、そのときはぜひ、聴いてくださる方がこの曲に自身の恋愛であったり友達関係であったり、いろいろな思いを自由に重ねて聴いていただけたらうれしいですね。」
【インタビュー日 2011年3月18日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】
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