「理系」と「芸術」が一体となったデジタルアニメーション美術の魅力
■アニメーションの美術は、普通の一枚絵の絵画とは異なり、作画されたキャラクターの背景として、キャラクターとともに作品の世界観を作り出すものですが、丹治さんはもともとアニメーションの美術が専門というわけではないのですよね。
丹治
「そうですね。今も実写映画の仕事をやっていますが、映画の中に出てくる絵を描いたり、デザイン画やコンテ、イメージボードなどを描いたりしています。特にアニメーションに詳しいというわけでもなかったんです。ですから、『雲のむこう、約束の場所』の美術に誘われたとき、「アニメの美術? よくあるテレビアニメの背景みたいな絵なら、あんまり興味ないな」と正直思ったんです。なので、仕事を受ける前に、その監督の前作がどんなものなのか知りたいと思って『ほしのこえ』を見てみたら、「テレビアニメ」のレベルじゃなくてきちんと「映画」になっていた。実写であれアニメーションであれ、僕は「映画」の仕事をしたいと思っていたんです。それで、『雲~』に参加したのが最初ですね。その後『秒速5センチメートル』の美術を担当し、今回の『星を追う子ども』で新海作品に携わるのは3作品目となります。」
■アニメーション映画の美術という新しい仕事へのとまどいはありませんでしたか。
丹治
「Photoshop(アドビシステムズ社のグラフィックソフト)で絵を描くこと、まずこれが大変でした。パソコンで絵を描いたことなんてほとんどなかったので。新海さんから「ためしにこれを元に絵にしてみてください」と渡された風景写真を、いったいどうやったら『ほしのこえ』の風景みたいな絵にできるのかさっぱり分からず、とりあえず写真をプリントアウトしてその上からポスカで塗ってスキャナで取り込んで、ということを何度か繰り返してみたりしました。」
■それはものすごく手間がかかりそうですね……。
丹治
「2日くらい自宅でそういうことをやってみたんですが、ちっとも新海さんの絵に近づかない(笑)。その後、新海さんの家にお邪魔して描いているところを見せてもらったんです。そうしたら、ショートカットを使ってものすごくスピーディに描いていくので驚きました。アナログで描くのとデジタルで描くのが同じぐらいのスピードにならないと意味がないと思っていたので、「これはショートカットを覚えないと自分のイメージ通りにPhotoshopで描くことはできないぞ」ということが分かり、必死に覚えました。ショートカットをマスターして、マニュアルを読んでデジタルならではの機能を理解すると、かえって「Photoshopを使って絵を描くことは自分の気質にぴったりだな」と思うようになりました。」
■どういった気質ですか。
丹治
「もともと自分の中に「理系の自分」と「芸術家の自分」っていう2つの志向性があって、その2つはずっと平行線だったんですけど、Photoshopで絵を描くことでそれがピタッと一致したんです。僕は美大の油絵専攻を出ていますが、そもそもアナログ人間というわけではなかったんです。小学生の頃、まだパソコンがマイコンと呼ばれていた時代に、PC-8001SRというマシンを親戚から譲ってもらったんですが、電波新聞社の「マイコンベーシックマガジン」を毎月読みながらプログラムを考えるのがとても好きでした。あれも、プログラムによって一つの世界を作れるという「理系と芸術の合致」が気持ちよかったんだと思います。そう考えると子どもの頃から基本的な気質は変わっていなくて、全部、今の仕事につながっているんだなと感じますね。」
やわらかい手描きタッチの美術で、架空の世界のリアルを作り出す
■今回の美術のみどころについて教えてください。
丹治
「『星を追う子ども』は架空の世界が舞台になっている作品ですから、今までと同じやり方ではこの世界観を表現することはできないと思いました。そこで新海さんと「これまでとは目指すところを変えよう」と話し合い、今回は手描きふうの美術を目指しました。意識的に描きこみすぎないようにして、手描きのタッチを生かそうと。技術的なことでいうと、Photoshopのブラシをカスタマイズして、あまりシャープにならないように調整し、やわらかいタッチで描いています。また、今までの美術は、ライン(輪郭線)を描いて範囲指定してレイヤー分けして、というような手順でしたが、今回はラインは描かず、レイヤー分けもあまりやっていません。デジタルで描いてはいるけれど、フィルターとかデジタル的な処理はほとんどおこなわず、描きこみよりも色彩で見せる背景を目指しました。」
■これまでよりも大変でしたか。
丹治
「最初は「大変になるか楽になるか、どっちかな」と思っていたんですが、結果的にやはりこれまで以上に手間がかかりましたね。『秒速~』のときは写真をもとにしたレイアウトが多かったんです。実際にある風景、例えば新宿を表現するときには、新宿で写真を撮り、その写真をもとに、適宜時間帯や光を変えてそのカットに適した背景にする。だけど今回は、架空の世界ですから、写真レイアウトは一枚も無かったと思います。ロケハンの参考資料がある場合もあるけど、基本的には1からきっちり考えて描かないといけないわけです。僕も美術スタッフも試行錯誤を重ねました。それから、深く考えずになんとなく描くと、つい記号的な絵になってしまいがちですから、そこは特に気をつけて記号的な表現におちいらないような絵作りをしました。」
■記号的な絵というのはどういうものですか。
丹治
「例えば『山といえばこう』とか『夕日といえばこう』というような、ぱっと思い浮かぶような絵をそのままなぞるような表現です。架空の世界だからといって、「いかにも本当にあるような風景でしょ」というふうに「記号的に」描いてしまったらダメなんです。実際の風景は、当然ですが全く記号的ではない。夕日の色といっても単に赤だけではなくてたくさんの色彩が混じっています。それから道も電柱も真っすぐではなくてゆがんでたり、室内だったら電球がとれかかってたり一つだけ違う種類の椅子が混じってたり、そういうものですよ。今回、長野県小海町にロケハンに行きましたが、坂が多い地形なので、例えば家の塀の作りなんかも面白い。水平面の上に作られた塀とは違って坂に建てるための工夫がある。そういう部分は意識して今回の美術に取り入れています。やっぱり想像だけで描いちゃうとそういうものも記号的になっちゃうことが多い。だからロケハンとか取材も大切だと思います。
■記号的な絵になっていないかどうか、どうやって判断するのですか。
丹治
「うーん……ぱっと見て、面白いか面白くないか、ですね(笑)。面白くないなと感じたらそれは記号的なんだと思います。だって実際の風景は、やっぱり面白いですからね。」
シナリオよりもさらに世界観を広げてゆくのが僕の役割
■今までの作品と比べて『星を追う子ども』で変わったことは。
丹治
「まず作品自体への関わり方がこれまでとは違いますね。今までは新海監督の絵コンテが完成して、美術背景作業を始めるところからが僕の仕事でしたが、『星を追う子ども』はシナリオミーティングの段階から関わっています。新海さんが、今回は共同作業的なやり方で作品を作ることを望んだんです。大まかなシナリオが完成してからはイメージボードを出し合って作品の輪郭をすこしづつ見えるようにする作業をしました。その際、僕は、イメージボードをシナリオの筋に沿って描くのではなく、むしろ新海さんのシナリオの枠から離れて、できるだけ世界観を広げようと思いながら描いていました。それが僕の役割だと思って。」
■なにか具体的に参考にしたものはありますか。
丹治
「登場人物たちが旅をする世界のイメージは、例えばシュメール文明など、いくつかの古代文明の遺跡などからイメージをふくらませて描いたところもあります。ギリシャ時代まで下っちゃうと人間中心の考え方が世界の造形にも現れてくるので、もっとさかのぼった時代の造形を参考にしています。神様が人間の形で表されていない時代の造形の方が今回の作品のイメージに合うと思いました。」
■今回は絵コンテも描いてらっしゃるとお聞きしましたが。
「いくつかの部分で絵コンテを描いています。新海さんがまだ描いていない部分を先行して描いて、提示しました。その後新海さんが全てのシーンを描いていくわけですが、そのたたき台になればいいかなという思いでした。今回はいろんなスタッフの血を入れた作品にしたいということでしたから、そういうやり方もありかなと思ったのです。描き方としては完全にシナリオに忠実に描くわけじゃなくて、場合によってはシナリオにないカットを入れたり、逆に削ったりしました。例えば、あるシーンについて、シナリオには書いてあるけど無い方がいいんじゃないかと思った場合、じゃあその部分無しでどうやったら必要な情報を観客に伝えて前後のつながりを成立させられるか、ということを考えて、自分なりに絵コンテを描きました。」
■それは新海さんの絵コンテに採用されるんですか。
丹治
「採用されたりされなかったり、ですね(笑)。その判断基準は、新海さんの生理ですから。新海さんの生理に合わないものは採用されない。それでいいんだと思います。ただ単にいろんな人の意見をつなぎあわせてもバラバラになるだけですから。監督の生理で頭からおしりまで一本貫かれるからこそ、まとまった世界観の作品になるんだと思います。最終的に、新海さんの絵コンテ自体が、最初のシナリオとはずいぶん違ったものになっていますね。新海さん自身、シナリオでなんとなくひっかかっていた箇所が絵コンテで解消されたんだと思います。絵コンテが面白く描けないときはたいていシナリオがよくないんですよ(笑)。シナリオにどこかひっかかるところがあるから、絵コンテがうまく描けない。だから、そういうときは、絵コンテをシナリオに合わせようとするんじゃなくて、別のアイディアを持ってきた方がいい。シナリオを変えることも必要だと思います。」
それぞれの美術スタッフの個性が表れるディテールに注目
■今作品の美術の作業期間は。
丹治
「2009年11月に美術チームが動き始めて、2010年の年内いっぱいで作業を終えるつもりで取り組んでいたんですが、忘れもしない10月1日に『まずい、このままのペースだと終わらない!』と思い立ちました。『秒速~』のときは残り枚数を計算して、できあがるスケジュールも見えていたから、ちゃんと土日も休めたんですが、今回は量がハンパじゃなく多いし、一枚一枚の作業も大変で。イメージボードで世界観を広げすぎちゃったのかもとちょっと後悔もしました。世界観を広げるとそのぶん美術の作業が大変になるってことに気付いてなかったんですよ(笑)。それで焦って、10月11月は休みなしでかなりのハイペースで仕事したんですけど、このままじゃ体がもたないし、クオリティにも問題が出てくるから、12月に入ってからペースを少しゆっくりにして、年を越して、ようやく一昨日終わりました。やはりアニメーションの背景美術というのは、長い映画の中の一部分なわけだから、一枚に時間をかけすぎるわけにもいかないし、どこかで区切りをつけて次の作業にうつる必要がある。そのバランスが難しいところですね。」
■今回はこれまで以上に部屋の中の小物などディテールが細かいですね。
丹治
「ああいう細かい部分は、一つ一つ新海さんや僕が指定しているわけじゃなくて、それぞれの美術スタッフに考えてもらっているんです。僕が「この壁のところ、さびしいのでなにか描いておいてください」ってスタッフに言うと、そこにクジャクの形の温度計が置いてある絵があがってくるとか(笑)。こういうのがね、なんか、いいんですよねえ。僕ひとりじゃ絶対に思いつかないですよ。他にも、シールをはがしたあとがついているタンスとか、冷蔵庫のマグネットと伝言メモとか、架空の世界でもきちんと考えて小物の一つ一つにまでリアリティをもたせることが大切です。そういった細かいことの積み重ねが、全体の世界観の構築につながっていると思います。」
■建物の描写について苦労なさった点は。
丹治
「主人公のアスナが住んでいるのは1950~60年代くらいに建てられた日本の家という設定なんですが、和室の表現はちょっと気をつかいました。誰でも和室の大きさの感覚というのは肌で知っているものですから、少しでもバランスがおかしいと違和感を感じちゃう。畳とか建具とか欄間とかの大きさのバランスが日本の家のイメージにとってとても重要なんです。だから今回は、最初に3Dソフトでモデリングして家全体を設計しました。それをもとにレイアウトを切ってもらうことで、絵のバランスが崩れるのを防いでいます。」
人を描く映画を作りたい
■丹治さんが美術の道に進もうと思ったきっかけは。
丹治
「僕は福島出身なんですが、高校は地元の進学校で、高3になるときに理系クラスと文系クラスに分かれるんですね。なんとなく、自分は子どものころマイコン好きだったし理系かなと思って、理系クラスに進んだのですが、その直後なぜか「やっぱり美大に行こう」と決めました。それで放課後だいたい毎日、美術研究所に通っていました。もともと父が武蔵野美大の出身で油絵を描いてて、自宅にアトリエもあったんです。そこはいつも油絵の具のにおいがして、すごく好きな場所でした。」
■芸術が身近にある環境だったんですね。
丹治
「そうですね。それで高校卒業して上京して予備校に1年通った後、多摩美大の油絵科に入りましたが、色々やっているうちに「映画やりたい」っていう気持ちが強くなってきたんです。次の年に東京芸大の油絵専攻に入ったときには、「絵」と「現代美術」と「映画」、この3つをやりたい気持ちが混在していました。」
■油絵専攻って、油絵ばっかり描いているわけじゃないんですか。
丹治
「全然描かない人もいますよ。映像撮ってる人もいるし。絵画を含めた現代美術をやるのが油絵科だったんです。ものすごく自由というか学生任せというか、いわばゆるい学校だったんですよ。学年が進むと特に課題とかなくて自分の作品に取り組みます。時々教授から「今なにやってるんだ」って聞かれて「○○に取り組んでます」って報告して、教授が「そうか」って言って、それだけ(笑)。」
■丹治さんはどんな作品を作っていたんですか。
丹治
「写真です。当時、まだ自分自身が何をやりたいか、よく分かっていなかったんです。それで、常にカメラを持ち歩いて、自分が面白いと感じたものを思うままに撮っていました。写真は、撮影する人そのものの興味であったり視点であったり、その人自身の姿が如実に映し出されるものなので、現像した写真を見れば自分がどんなことに関心を持っているのか分かるんじゃないかと思って。なにかを撮りたかったわけじゃなく、自分を知るために撮っていたんです。」
■写真にはどんなものが写っていたんですか。
丹治
「人ではなく、地面にうつった光と影、とかでしたね。その頃の自分は、人を表現の対象としては見ていなかったんだと思います。自分大好き、自意識過剰な時期でした(笑)。でも映画の仕事をしてみたかったので、「なんでもいいから映画の仕事をやりたい」とまわりの人達に言っていたら、知り合いに紹介されて「タブー 赫いためいき」(小平裕監督)というVシネマの現場に美術助手として参加することができました。お葬式のシーンがあって、撮影のタイミングに合わせてろうそくの火をつけたり消したりとか。これが映画業界での初仕事ですね。これをきっかけに映画の美術会社に出入りするようになって、大学に通いながら「CURE キュア」(黒沢清監督)、「鮫肌男と桃尻女」(石井克人監督)などの現場で美術助手をやりました。でも、大学卒業の時期になっていろいろと考えるわけです。自分自身の作品作りをしたい、絵をきちんと描きたい、とか、あまりにも大学がフリーダム過ぎるので(笑)このままモラトリアムのまま過ごしていたらいかん、とか。」
■外に出なくては、と思ったんですね。
丹治
「ええ。やっぱりちゃんと働いてお金を稼いで自分自身の作品を作る、ぐらいの気概をもたないとダメなんじゃないかという思いがあって。それで卒業後は大学院に進まず、映画の仕事も一旦やめて、古本屋とかで週に4日みっちりバイトしつつ残りの3日を作品作りにあてようとしたんです。でも実際やってみるとなかなかうまくいかなくて、余裕もないし、いい絵も描けなかったんです。そんなときに美術助手時代の知り合いから連絡があり、「水の女」(杉森秀則監督)という映画で、物語の舞台となる銭湯の背景画を描く仕事をやってもらえないか、と頼まれました。」
■絵描きとしての仕事だったんですね。
丹治
「そうですね。それを機にまた映画の仕事をするようになったんですが、以前のような参加の仕方ではなく、絵画・デザイン画制作、ストーリーボードアーティストというような立場で関わるようになりました。そうして、「CHASSERN」(紀里谷和明監督)、「あずみ」(北村龍平監督)とつながっていき、現場で知り合った友人が新海監督作品のプロデューサーと友達で、そこから新海作品につながっていく感じです。」
■今後はどんな作品を作ってゆきたいですか。
丹治
「やっぱり映画をやりたいですね。もともと「映画の美術をやりたい」のではなくて「映画をやりたい」という思いからこの仕事を始めたので。自主制作もしています。でも最近作っていたものがちょっと停滞気味です。忙しかったというのもあるんですが、続きが描けなくなったりして、それはつまり、シナリオに問題があるってことなんでしょうかね(笑)。だけど今はとにかく、人を描きたいです。それははっきりしています。学生のころは何を作っても結局「自分は何者か」とか自分自身が抱えている悩みとか、そういうところに行き着いてばかりだったんですが、作品自体はどうも面白くならないんですよね。ちゃんと人を描いた作品を作りたいですね。」
アスナとともに、情感豊かな世界を追体験してほしい
■長く新海さんと一緒に仕事をしていらっしゃいますが、新海さんの印象は変わりましたか。
丹治
「最初はね、「なんか天使みたいな人だなあ」って思ったんですよ(笑)。見た目がね、髪の毛が茶色くてふわっとしてて、白い服着てて。まあもちろん実際には天使じゃないですけど(笑)でも新海さんが怒鳴ったりとかわめいたりとか、そういう姿は見たことがないですね。おだやかな人という印象はずっと変わらないです。でもいつか新海さんが乱れた姿もちょっと見てみたいなあ(笑)。新海さんはお酒もものすごく強いから、一緒にお酒を飲んで新海さんの酔っぱらった姿を見たいと思っても、いつも僕のほうが先にぐでんぐでんになってしまうんですよね(笑)。」
■新海監督のそういった気質というものも、やっぱり変わらないものなんでしょうね。
丹治
「そうですね。だから、今回、シナリオの立ち上げから共同作業を行ったり、世界観は大きく変わったりしていますが、やっぱり今までの新海作品と変わらない部分もたくさんあるんです。それは「情感ベース」で表現する絵づくりという根本の部分です。新海さんにとって美術とは、単なる背景じゃなく、そのキャラクターが置かれている世界の「情感」を表現するものなんだと思います。だから、風景をただ描くのではなく、光、風、暑さ寒さ、季節、時間などの細やかなディレクションによって、その世界を深く表現しようとします。新海さんは美術の演出においても、単に何色でというのではなく、「このシーンでは季節は秋で夕方4時くらいなので太陽の位置がここにあるから空の色がこういう具合になっていて、雲が流れる速さはこれぐらいで……」というような言い方をするんです。それは後づけの設定などでは決してなく、まさにこのようにして描かれた美術こそが物語のトーンを決定づけるものだと新海さんは考えているんじゃないでしょうか。それらがキャラクターの表情やアクションと結びついて、新海作品全体から立ち上がってくる豊かな情感につながっていると思います。」
■それはこれまでのような現実世界の風景でも今回のようなファンタジー世界の描写でも変わっていないということですね。
丹治
「ええ。架空の世界の物語ですが、これまで以上に光や風を感じることのできる美術に仕上がっていると思います。『星を追う子ども』というタイトルどおり、星や雲や空の美しさもぜひ見ていただきたいです。劇場では、映画を見ながらアスナやシンたちと一緒に異世界を追体験してもらいたいですね。」
【インタビュー日 2011年1月27日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】
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