たとえコンマ1秒の命でも、すべてのものに色を指定するのが私の仕事
■新海監督とお仕事なさるのは今回が初めてだそうですが、監督のことはご存じでしたか。
野本
「新海作品は、もともと好きで見ていたんです。『ほしのこえ』を見て、「色鮮やかな作品だな。こういう表現のアニメーションもあるんだな」と感じました。『ほしのこえ』も『雲のむこう、約束の場所』も『秒速5センチメートル』も、新海さんの作品はどれも恋愛の要素があるのがいいですね。それも、ひっつきそうでひっつかない、あのもどかしい感じがたまらないです(笑)。それに背景美術がどの作品も素晴らしくて、美術館で展示されていてもおかしくないぐらいクオリティが高いですよね。かと思えば、『猫の集会』(2007年制作。NHK「アニ・クリ15」のために作られたショートアニメーション)のように、キャラクターも美術もいかにも日本のアニメ、というような絵づくりをしている作品もあったりして、表現の幅の広い監督だなと思っていました。」
■最初に『星を追う子ども』の絵コンテをお読みになられたときの感想は。
野本
「やはり、これまでの新海さんの作品とは主人公のキャラクターがずいぶん違うことに驚きましたね。今回の主人公のアスナは快活な女の子ですから。それに、絵コンテは鉛筆で描かれていてまだ色もついていないので、「今回の作品は、過去作品のどの作品の世界観に近いんだろう? どの作品の色使いに近いんだろう?」などといろいろ想像しました。新海さんの作品といえば、あの美しい独特の色使いも大きな特徴の一つだと思うので、「もしも自分が変な色をつけちゃって、新海さんの世界観をこわしてしまったらどうしよう……」というような不安も最初はありました。」
■今回、色彩設定を新海さんが、色指定を野本さんが担当されたということですが、それぞれの仕事について教えていただけますか。
野本
「まず、色彩設定というのは、その映画全体の世界観のベースとなる色を作る人です。登場人物の肌の色や服の色などは、基本となる「ノーマル色」、光が当たっている部分に塗る「ハイライト色」、それから「影の色」、「影の中にできた影の色」、という4色を設定します(下図参照)。もちろん、晴れのシーン、雨のシーン、夕焼けのシーンなど、シーンによってその4色も変わります。人物だけでなく、机やイスなど小物の色の設定もあります。そうやって色彩設定の方が作ってくださった色のボードをもとに、色指定表を作成し「ここはこの色で塗ってください」と仕上げスタッフに各カットごとに指示を出したり、数カットしか出てこなくて色彩設定の方が指定されていないような小物などの色に関しては私が作ったりします。それが普段私がやっているテレビアニメの色指定の仕事ですが、『星を追う子ども』での仕事の内容は、いつも私がやっている仕事とはちょっと違っていました。」
■どう違っていたのですか。
野本
「最初の打ち合わせの際に、新海監督から「今回は、“素材”として使わせてください」と言われたんですね。いつもなら、色彩設定の方が設定された色であれ私が作った色であれ、仕上げスタッフが塗った色というのはそのまま完成画面に出るのですが、新海さんはカットごとに撮影の段階で本当に細かく細かく色を調整してらっしゃるので、今回は私が厳密に作り込むというよりも、撮影スタッフの方が仕事がしやすい状態でお渡しできるようにと心がけて色指定をしました。また、手間を軽減するために、「撮影で調整する」ということを前提に、雨のシーンだけれども晴れのシーン用に作った色の設定で塗ってあとは撮影スタッフにおまかせする、というようなこともありました。」
調整前
調整後
■自分が作った色を撮影の段階で変更されるというのは、ちょっとイヤだったりしませんか。
野本
「いいえ、全くそんな気持ちはないですね。「絶対に自分が作った色を使ってほしい!」と主張する気もありません。そんなことを言ったら、自分の色が作品の世界観全体の中で浮いてしまいますし、基本的に自分が作った色をベースに調整していただいていますから。それになにより、撮影やさまざまなエフェクトによって、自分の色が一段とグレードが上がってより素敵になっているのがはっきりと分かるので、もう「ありがたい! もっとどんどん良くしてください!」という気持ちです(笑)。ただ色を塗っただけだとペタッと平面的に見えていたものが、撮影の段階で、たとえば表面にテクスチャをはりつけたり、小物にもっと細部を描き込んだり、光や影のエフェクトがかけられることによって、ぐっと立体的になったり、空気感が増して、よりリアルな息づかいをもつようになるんです。なにげないカットでも本当に細かく細かく積み重ねられていて、まったく妥協がない。これが新海作品のすごいところなんだなと実感しました。「この1つのカットにいったい何時間かかったんだろう!?」って思うカットもありますよ。」
■でも、そういうカットでもたった1秒しか画面に写らなかったり……。
野本
「ええ、その通りです(笑)。その意味では、作画も美術も仕上げも撮影も、1秒のために気が遠くなるような労力をかけているわけですよね。もちろん私も、コンマ1秒しか写らないものでも全部色を指定しています。ですから、画面に写ったどんな小さなキャラクターでも小物でも、ぜひとも見逃すことなく見ていただきたいですね。」
「食べ物」はより美味しそうに、「目に見えないもの」は確かにそこにあるように
■色を作る際に、特に苦労なさった点は。
野本
「「食べ物」の色と、「目に見えないもの」の色ですね。まず「食べ物」の色というのは、みなさんがしょっちゅう目にしているものですから、ちょっとでも違和感のある色が塗られていると「なんか違うな」「美味しくなさそうだな」とすぐに気づかれてしまいます。まさか煮物をピンク色で塗るようなことはしませんが(笑)、たとえば「玉子焼きの黄色」といっても何万種類もあるわけで、どの色にすればより本物らしいと感じてもらえるか、美味しそうと思ってもらえるか、試行錯誤を重ねて色を決めてゆきます。今回は結構食べ物が出てくるシーンが多いんですよね。アスナが料理をするシーンもありますし、やっぱり映画を見ている方に美味しそうと思ってもらいたくて、がんばりました。」
■もう一つの、「目に見えないもの」というのは?
野本
「たとえば「光のスジ」や「風の通り道」などですね。今回は特にそういうものが多かった気がします。光も風も目には見えないものですけれど、それをアニメーションにするためにはなにがしかの色で表現しないといけないわけですよね。まさか無色で描くわけにはいきませんから(笑)。「食べ物」はみなさんに馴染みがあるものだからこその難しさですが、それとは逆に「目に見えないもの」は見たことのないものをリアルだと感じさせるにはどうすればよいか、どういう色にすれば「より本物らしく」感じてもらえるか、あれこれ考えながら色を作ってゆきました。それから、自然物の表現も毎回大変ですね。たとえば「川の流れ」にしても、表現はけっして1種類ではありませんから。「このシーンの川とあのシーンの川は、やっぱり違う色だよなあ」と頭ではわかっていても、それをどういうふうに色で表現したらよいか、非常に悩みます。」
■悩みながらも、どうやって色を決めていくのですか。
野本
「やはり過去の作品から学ぶことが多いですね。新海さんの過去作品を見て「あっ、こういうときの光はこの色を使っているのか」とか「こういうシーンでは海はこんな色で表現しているのか」など考えるヒントを得ることもありました。やっぱり新海さんの色というのは独特だな、と今回の仕事を通じて強く感じましたね。たとえば「夜の時間帯」といっても「月明かりだけの色」とか「オーロラの色」とか細かく分かれているし、「夕景」の色だけでも何種類もある。逆に、新海さんがほんのちょっと色を変えるだけでこれだけ全体の雰囲気が変わるのかという驚きもありましたし、「えっ、ここでこの色を使っちゃうの!?」というような大胆な色彩設定もありました。だけど不思議なことに、全体としてはまとまりがあって落ち着いて見えるんです。そういう独自の色づかいが新海さんらしさなんだなと感じました。私も今回の作品で学んだことを今後にいかしていきたいですね。」
まさか人がアニメを作っているとは知らなかった!
■新海監督に会ったときの第一印象は?
野本
「「うわー、あの『ほしのこえ』の監督だ。本当にいたんだー!」って思いました。私、子どものとき、アニメを作っている人がこの世に実在しているって知らなかったんですよ。」
■ええっ、どういうことですか? 野本さんも「アニメを作っている人」ですよね?
野本
「今は確かにそうなんですが、幼いころは、アニメをどこかの誰かが作っているなんて全然知らなかったんです。アニメは最初からどこかに存在しているものなんだと思っていました(笑)。でも中学生のときに、友達が「声優になる!」って言いだして、そのとき初めて「へえ、アニメって、人が作っているものなんだ」って知ったんです。とはいえ、声優の仕事はなんとなく想像できますけど、それ以外のアニメの仕事というのはやっぱりうまくイメージできない。だって私の地元の愛媛では、アニメの仕事をしている人なんてまわりに全然いませんでしたからね。そんなとき、アニメ雑誌の裏表紙なんかを見ていると、アニメの専門学校の広告がドーンと載っていて、親に「この学校に行きたい」って言ったら「せめて高校に行ってからにしろ」と言われまして。それで、アニメ業界に進むには普通高校がいいのか、はたまた商業高校がいいのか工業高校がいいのか、どういうところに進学したらいいのかよく分からなくて、「うーん、じゃあ、なんでもできそうなところにしよう」と思って、総合学科の高校に進みました。」
■野本さんは芸術系の授業を選択していたんですか?
野本
「いちおう美術の授業はとっていましたが、わりと商業系の科目を中心に履修していましたね。簿記とか会計の資格などをとったりしていました。やっぱり、親にしても私にしても、アニメ業界ってよくわからないことだらけでしょう。本当に自分がその世界でちゃんとやっていけるかどうかわからない。でも、資格を持っていれば、「ほら、これだけ商業系の資格を持ってるんだから、もしもアニメ業界が自分に向いていなくても他の仕事でそこそこ食っていけるよ!」と親を安心させることができる。そうやって、アニメの専門学校に入学することを認めてもらいました。」
■すごい! 計画的ですねえ。
野本
「いえいえ。でも相変わらずアニメの仕事ってどういうものか、かんじんなところはさっぱり知識がなかったんです。ずっと「アニメは大好きだけど、詳しい作り方は知らない」という、まあ普通のアニメファンでした。当時は「幽☆遊☆白書」「スラムダンク」「るろうに剣心」などジャンプ系のアニメが大人気で、私ももちろんすごくハマっていて、同人誌みたいなものを作ったりもしたんですけど、そのときに「うーん、自分には絵心がないな」と気付きまして(笑)。」
■そんな! アニメーション業界で仕事してらっしゃる野本さんが、なにをおっしゃられますか!
野本
「いやー、今でも真っ白い紙が目の前にあると、ダメですね。絵は好きなんですが、描くのは苦手なんですよ。紙の上にあらかじめ線画がのっていれば、自分でもなんとか扱えると思うことができるんですが(笑)。同じ会社ですが、たとえば土屋さん(『星を追う子ども』作画監督。インタビュー♯07参照)みたいなアニメーターさんは別世界の人だなと感じますね。あんなに自由自在に絵が描けるなんて、ある意味「なんて恐ろしい人たちなの!」と感じます(笑)。」
セルに色を塗りたくて入学してみたら……デジタル彩色の落ちこぼれ学生時代
■では、どのようにして彩色や色指定のお仕事に興味を持たれたのですか?
野本
「アニメの専門学校を見学したときに、仕上げという工程があることを知ったんです。机の上にズラーッと絵の具の小瓶が並べられていて、そこから指定された色を一つ一つセルに塗っていくという仕事を知ったときに「わっ、これカッコいい! これやりたい! セルに色塗りたい!」って思ったんです。それで、そのアニメの専門学校のデジタルペイントアーティスト科というところに入学しました。」
■入学の動機が「セルに色塗りたい!」なのに、科の名称にはデジタルと付いていますが……。
野本
「そうなんですよ(笑)。ちょうど私が入学した時期が、徐々に業界的にもセルアニメからデジタルでの制作に切り替わり始めたころだったので科の名前もそういうふうになっていて、授業はセルとデジタルが半分半分でした。セルの塗りをやりたくて学校に入ったので、セルの授業は楽しくて成績もそんなに悪くなかったんですが、デジタルの成績はひどいものでした。いちおう塗るぶんには塗れるんですが、スピードも遅いし、その上、検査ができなくてよく怒られました。」
■検査というのは?
野本
「色の間違いをチェックすることです。たとえば影の色で塗らないといけない部分を、別の色で塗ってしまっていても私はなかなか気づけなくて。成績表に「居残りして練習したほうがいい」と先生からのコメントが書かれていたときは、さすがに落ち込みましたね(苦笑)。でも「会社に入れば、まだセルで作業しているかもしれないし、まあなんとかなるだろう!」とポジティブシンキングで就活して(笑)、卒業後はスタジオぎゃろっぷという会社に入りました。でも最初は制作として働いていました。」
まずはお茶くみから!? 制作スタッフとしてプロのアニメ作りの現場を学ぶ
■どうして制作として入社したんですか。
野本
「なぜでしょうねえ。私もわからないです(笑)。入社試験のときに「制作やってみないか」と言われまして、最初、制作というのがどういう仕事なのかわからなかったんですよ。「お茶くみやってくれればいいから」って言われて、まあお茶くみならできるだろうと思って(笑)。でも実際には制作の仕事はもちろんお茶くみではなくて、社内の作画スタッフさんのところにカットの受け渡しにいったり、スケジュールの管理をしたりしていました。制作の仕事をすると、アニメーション制作の全体の流れが分かるので、勉強にはなりましたね。それに、スタジオぎゃろっぷは「るろうに剣心」を作っている会社でしたから(※テレビ版の第1話から第66話までと劇場版『維新志士への鎮魂歌』)、私が入社したときにも「おれ、演出やっていたよ」とか「作画してたよ」というスタッフが社内にたくさんいて、「うわあ! 本当にいたんだ!「るろうに剣心」のアニメを作っている人がこの世に実在していたんだー!」と興奮しました(笑)。」
■その先輩方が作られたアニメを見て、この業界を目指したわけですものね。
野本
「ええ。幼いころの自分を育ててもらった、と言っても過言ではないです。そんなアニメを作られた方々と一緒に自分が仕事できるようになるなんて……感激でした。でもやっぱり制作は、カット袋を持ち運ぶことはできてもカットの中身にはさわれない仕事ですから、「私もカットの中にさわりたいー!」という思いがどんどん強くなって。それで1年後、仕上げの部署に異動になり、やっと念願の塗りの仕事をやることになりました。でも、そのときにはもう100%デジタル仕上げの工程になっていましたから、「セルに塗れない!」っていうのがちょっぴりショックでした(笑)。どこのスタジオもあっという間に完全にデジタルに切り替わっちゃったんですよね。」
■学校時代にセルに塗れてよかったですね。
野本
「そうですね、ギリギリでしたね(笑)。学生時代はデジタルペイントの成績が悪かった私ですが、会社で先輩方に教えていただいて、ずいぶんスピードも速くなりました。その後しばらく仕上げとして仕事をしていたんですが、縁あってアンサー・スタジオに設立から参加させていただき、色指定の仕事もやるようになりました。」
■色指定の仕事の面白さは。
野本
「限りがありながらも無限大に広がる……ということでしょうか。言葉であらわすのは難しいのですが。塗り自体は2次元で限定的、平面的な表現ですが、彩度や明度をわずかに変えるだけで、あたたかさや冷たさ、そのシーンの空気感、キャラクターの感情などたくさんの情報を伝えることができる。ときにはマジックアート的な技術などを組み合わせることによって、立体感など3次元的な表現もできる。私はまだまだ経験が少ないのですが、色の表現は本当に奥が深くて面白いなと思いますね。」
「セリフ以外のセリフ」にも注目しながら見てほしい
■野本さんから見た『星を追う子ども』のみどころは。
野本
「色とは関係ないのですが(笑)、キャラクターがしゃべってるところ以外にも注目してほしいですね。発せられるセリフだけがすべて、というわけではないんです。」
■それはどういうことですか?
野本
「新海さんのコンテや作画スタッフのレイアウト用紙には、キャラクターの「セリフ以外のセリフ」がたくさん書いてあるんですよ。今アスナはこう思っているからこういう動きをしているんだよ、ということだとか。たとえば、ただ「手を握る」っていう指示じゃなくて、「とまどいもありつつ希望もある握り方で」とか。動きのことだけじゃなく、ぐっと飲み込んでしまって口には出さないようなセリフも書いてあります。人間だけでなく、動物やしゃべらないキャラクターたちも、みんな、言葉としては外に出していないけど心の中でいろいろしゃべってるんです。「あれ、見失ったぞ」とか「こいつは敵かな」とか。もちろん、それを全部セリフとして表現してしまったらキャラクターとして成立しなくなっちゃいますが。」 |
「アレ、いない?」と
セリフ以外のセリフ |
■動物が自分の気持ちをしゃべるわけにはいきませんよね。
野本
「ええ(笑)。その内側にある思いを、しぐさや表情、目の動き、あるいは「ウォー」という鳴き声などで表現しているわけです。でも実際、動物だけでなく、現実に生きている人はみんな心の中でいろんなことを考えていて、だけどそれら全ての気持ちを口に出しているわけではないですよね。言葉にはしない、あるいはできない、そんな思いを誰しもたくさん抱えている。そういう「セリフ以外のセリフ」を、作画スタッフが描く動きであったり、背景美術であったり、色の表現であったり、音楽であったり、セリフではない別の表現で伝えようとスタッフ全員の力を結集させたのが、今回の作品だと思います。そういった見えない言葉、聞こえないセリフが、劇場で観てくださるみなさんの心にも届いたらいいなと思います。」
【インタビュー日 2011年2月9日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】
次回のインタビューは、撮影・3DCGの粟津順さん、河合完治さんです!
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