手描き作画とCGをシームレスにつなぐ、ハイブリッドな手法
■粟津さんと河合さんが『星を追う子ども』の制作に参加されたのはいつごろですか。
粟津
「僕が監督した映画『プランゼット』の公開が2010年5月だったので、自分の仕事が落ち着いてから、8月ごろに参加しました。河合さんはもっと早かったんじゃないかな。」
河合
「僕は『プランゼット』の自分の作業が終わった後、少しお休みをいただいてから、2010年3月ごろにチーム新海に参加しました。プロデューサーから「今回の作品は3DCGはほとんど無いから、撮影スタッフとして参加してほしい」と言われたんですが、当初まだ撮影のための素材があがっていなかったんです。なので、ひとまず、新海さんの絵コンテをつなげたムービー(ビデオコンテ)を作る作業をしていました。そうしたら「電車が3DCGになったから、作って」ってさらっと言われて(笑)。」
※『星を追う子ども』に登場する電車
粟津
「それからどんどん3DCGを使うシーンが増えていったんですよね。新海さんの絵コンテにところどころ小さい字で「ここはCGか?」って手書きのメモが書いてあるんですけど、結局それはだいたいCGでやることになったんです。河合さんは電車、ヘリコプター、風車など機械モノ担当で、僕はトンビとかツバメとか鳥担当っていう感じで(笑)。一度に200羽ぐらいツバメが飛んでいるシーンをCGでつくったんですが、実は動きのパターン自体は1つで、それをコピー&ペーストして使っているんです。でも、みんなが同じスピードで飛んでいたらいかにもCGという画面になってしまうので、個体ごとに少しずつ速度を変えてみたり、細かくばらして配置してみたり、どうやったらプログラムっぽさを消すことができるかいろいろ試行錯誤しました。」
河合
「プロデューサーが最初「3DCGはほとんど無い」って言ったのは、たぶん「願望」だったんじゃないでしょうか(笑)。本当はやれるものなら全部手描きでやりたいんだろうと思うんです。でもやはり3DCGでやったほうが省力化できるカットもありますからね。200羽のツバメの動きを作画で描くのは大変ですし。その点、CGなら一度モデルを作ってしまえば使い回しがきくし、ちょっとアングルを変えたカットが欲しい、というような要望にもすぐに対応できるのも利点だと思います。ただ、今回の作品で大事なのは、3DCGがあまり目立ってはいけない、ということです。新海監督からも「いかにもCGっぽい画面にならないよう、なじませて」といつも言われていました。」
粟津
「僕は普段はフル3DCGの映像を作っているので、こういった、アニメーターの方が作画する2D作品に参加するのは初めてで、あらためて「手描きの作画ってすごいなあ」と感じることが多々ありました。今回、あるものが変形するシーンがあるんですが、その変形がとてもアクロバティックなのでCGでどう表現したらよいか、新海監督や竹内良貴さん(『星を追う子ども』CGチーフ)とかなり話し合いました。結果的に、手描きの作画を途中からすりかえてCGにつなげて一連の動きにする、という方法をとりました。これが非常にうまくいきましたね。意外に思われるかもしれませんが、CGよりも手描きで作画するほうが実は動きの自由度が高いんです。人間の想像力で描くものですからね。とてもなめらかなので、CGを勉強している方が見たら「えっ、このカットはどうやって作ったの?」と驚かれるかもしれません。」
河合
「アニメーターの方々の技術には本当に驚かされますね。3DCGだと実際に画面上で少しずつ動きを微調整できますけど、アニメーターさんは、頭の中でキャラクターの動きをリアルタイムに再生しながら、1コマずつ紙に出力して確定していくわけですよね。しかも「どういう動きにすれば見ている人が気持ちよくなるか」というツボを心得ている。本当にすごいなと思います。」
粟津
「今回、CGパートだけではなく撮影の仕事もやらせていただいたことで、直接、アニメーターさんの仕事にも触れることができて、「やっぱり日本のアニメの動きはいいなあ。かっこいい!」ということを再認識しましたね。」
T光のTとは? 1Kは1キロじゃなくて1コマ? ミリ単位で動かす? アニメ撮影用語にアタフタ
■2Dアニメの撮影の仕事は初めてでしたか。
粟津
「そうですね。だからもう、最初はいろいろわからないことだらけでしたよ。そもそも撮影という仕事がどういうものかよくわかっていないし、カット袋に書いてある指示の意味もわからないんです。「T光、撮影で」って書いてあって、T光が何なのかがわからない。」
※撮影用に指示が記載されたカット袋
河合
「なにかの光なんだろうなーっていうイメージしかわかなくて(笑)。」
粟津
「で、「透過光のことだよ」って他のスタッフさんに教えてもらって「へえー!」って。そういうアニメーション業界用語みたいなものを一切知りませんでした。「ダブラシ」(透明度を下げて重ねる撮影技法のこと)とか。」
河合
「同じやり方がCGでももちろんあるんですけど、CG業界だとそうは呼ばないんですよね。」
粟津
「あと、カット袋に「2K」とか「3K」とか書いてあって。「Kってなんだ? キロ? キロメートル? キログラム?」って不思議に思ってたら、それが「コマ」をあらわす「K」だったことを知ったときの驚きたるや!」
河合
「いやー、あれは本当にびっくりしましたねー。まさか「1コマ、2コマ」の「コマ」の頭文字だったとは。CGをやっている人間は「フレーム」単位で考えるので、「コマ」という概念がなかったんです。」
粟津
「それから、「○ミリ動かす」とかいう指示を見たときも衝撃でしたね。「ええっ、ミリ!? ミリってどういうこと? どこからどこまでのこと測ってるの?」って。」
河合
「ピクセルじゃないのかよーって(笑)。」
※1Kにたいしてミリ単位で動かす指示
粟津
「でもね、李周美さん(『星を追う子ども』撮影チーフ)から教えてもらったんですけど、そのミリ単位の指示をピクセルに変換する計算機のようなものがちゃんとあるんですよ。作画用紙に書いてあるミリの数字と解像度をうちこむと、「After Effects」(アドビシステムズ社の映像合成ソフト)上で何ピクセル動かせばいいかを計算してくれるの。でも、その通りにやってもだいたいうまくいかないから、最終的には自分の目で調整するしかないんだけど。」
河合
「じゃあ計算機の意味ないじゃないですか!」
粟津
「いや、だから……目安だよ(笑)。でも本当に、ミリ単位のちょっとした動きを撮影で加えるだけで、すごく見た目の印象が変わってくるんですよね。ちょっとカメラを揺らすとか、アクションシーンで火花が散ったりとか。撮影って、ただキャラクターの作画セルと背景を合わせるだけの仕事じゃなくて、本当に複雑な合わせ技を使っているんですよ。」
河合
「僕は、予告編にも入っている、シンが「アスナ、とべ!」と叫ぶアスナのジャンプシーンの撮影を担当したんですが、これはなかなか大変でしたね。作画に合わせて撮影したらちょっとガタついた映像になってしまったので、もっとなめらかな動きにするために作画を一つ一つ切り抜いて、3D上で背景とカメラの位置を細かく調節しながら撮影しました。普通、CGって最初と最後を合わせれば自動的に動いてくれるものなんですけど、そのシーンではカメラも背景もキャラも動いているので、自力で1コマ1コマ撮影していくしかない。まるでコマ撮りアニメのような手間がかかりました(笑)。」
粟津
「でも、「これだけ時間をかけたこのシーンを劇場でぜひじっくりご覧ください!」……とは言えないのが撮影の仕事なんですよね。苦労したところがいかにも苦労しましたってバレちゃったらダメだから。サラッと見てもらえることが大事ですね。ツバメにしろ、CGと手描き作画の変形シーンにしろ、「アスナ、とべ!」のシーンにしろ。」
河合
「なにげなく「ああ、いい感じになってるな」って思ってもらえたらうれしいです(笑)。」
学校で学んだことは「危機感」。自分で動かないと始まらない(河合)
■CGに興味を持たれたきっかけは。
河合
「僕は映画『ジュラシック・パーク』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1993年公開)ですね。あれを中学生のときに見て、「存在していない恐竜が、スクリーン上ではまるで存在しているように見える!」ということに衝撃を受けたんです。それで、高校を卒業してから名古屋のCG専門学校に入りました。今はCGクリエイターという職業も世間的に定着しましたけど、僕が高校生のころはまだ「憧れの職業」みたいな感じだったから、親からも「そんな夢みたいなことを追うのはやめなさい!」って言われて反対されたりしました(笑)。」
■学校ではどんな勉強をなさったんですか。
河合
「まだ日本のCG業界自体がそれほど大きくない時期でしたから、先生方の授業も手探りという感じでした。それで「あ、これはこのまま授業受けてるだけじゃダメだな」と思い、自分でバイトして3DCGソフトを買って勉強しました。」
■すごい!独学なんですね。
河合
「学校で学んだことは「危機感」ですね(笑)。やっぱり自分で動かないと。就職活動も、自分でかたっぱしからCGプロダクションのホームページに求人情報が載っていないか探して、履歴書と自作のCG作品をおさめたビデオを送って、それで東京の会社に就職が決まって上京しました。」
■会社ではどのような仕事をなさっていたんですか。
河合
「CMの仕事などが多かったですね。その会社に『惑星大怪獣ネガドン』のDVDが置いてあって、見てみたらすごく面白かった。新海さんの作品もそれ以前にもちろん見ていましたよ。『彼女と彼女の猫』も『ほしのこえ』も。特別すごい作画をしているわけじゃないのに、見せ方がとてもうまいな、とんでもない人が出てきたな、と思いました。僕としては、新海さんのことも粟津さんのことも、うらやましくってしょうがなかったですよ。自分一人でこんなすごい作品を作れるなんて……って。僕も新海さんや粟津さんみたいに自分の作品を作りたかったけど、やっぱりCGの作品を一本仕上げるには膨大な時間がかかる。じゃあイラストならできるんじゃないかと思って、原宿の路上やデザインフェスタで自作のポストカードを売るようになりました。 |
※粟津順が監督、河合完治が
スタッフとして参加した
『プランゼット』(2010年公開) |
いろんな人から声をかけられるのは楽しかったし、そこで知り合ったインディーズバンドのジャケットを描いたりもしました。でもやっぱりイラストレーターとして稼げているかというとそれも難しくて。そのときに、気づいたんです。「CGかイラストか、どっちか一つにしぼらなきゃ」って、自分の中でそうしなくちゃいけないと勝手に思い込んでいたんですけど、「あ、どっちも好きなんだから、どっちもやればいいんだ」って。それからは自分のペースで自分の作品を作るようになりました。それで、しばらくして会社をやめてフリーになった時に、ふと「そういえばあの『ネガドン』の監督さん、新作とか作ってないのかな?」って思って粟津さんのホームページを見たら「スタッフ募集」って書いてあったので、応募したんです。」
■ホームページでスタッフを募集していたんですか。
粟津
「自分のホームページで募集すれば僕のことを知っていて作品が好きな人が集まるだろう、って思ったんですね。ちなみに応募してきてくれたのは河合さん一人だけでした(笑)。あっ、あともう一人、「CGは全然できないんですけどスタッフになりたい」っていう方もいたんですけど、ごめんなさい、お断りしました。」
■CGができないと、粟津さんの映画だとやる仕事がないですもんね……。
粟津
「そうですねー。その点、河合さんは、いろんなCGソフトを使いこなしていたんですよ。「3ds Max」(オートデスク社の3Dソフト)だけじゃなくて「ZBrush」(ピクソロジック社の3Dスカルプトソフト。彫刻するように3Dモデルを作ることができる)も使えたんですよね。当時はまだあまり一般的なソフトではなかったんですが、そのスキルがすごく役に立ちました。」
作品を通じて常に新しい価値観を作り出してゆきたい(粟津)
■粟津さんはどのようにしてCG業界に入られたんですか。
粟津
「僕ももちろん『ジュラシック・パーク』を見てびっくりしましたし、それ以前から『アビス』(ジェームズ・キャメロン監督、1990年公開)や『ターミネーター2』(ジェームズ・キャメロン監督、1991年公開)などもすごく好きで、SFXの世界に関心はあったんです。でもやっぱりハリウッド映画だし、「海の向こうのすごい人たちがすごいマシンを使ってやっていることだ」っていうイメージがありましたね。きっと自分には一生できないことだろう、って思っていました。ですからいきなりCG業界を目指したわけではなくて、絵が好きだったので愛知芸大の日本画科というところに進学しました。」
■日本画というと、墨を摺ったりとか……。
粟津
「そうですそうです。墨とか膠(にかわ)とか。ものすごくアナログで伝統的な世界です。でもそれが僕にはちょっと心地悪かったんですよね。ものすごく長い歴史がある芸術ですから、描き方にしても題材にしても、もう決まっちゃっていることがたくさんあるんです。「墨はゆっくりと20分摺らなければいけない」とか「胡粉(ごふん。日本画で使う白い絵具の粉)は100回皿に叩きつけてから使うべし」とか。なぜそうするのがいいのか、先生もその理由を説明しようとしないんです。それじゃあやっぱり僕は納得できないでんすよね。美大の大学院までいったので、そのまま大学に残って助手になるとか、美術の先生になるというような道もあったんですけど、「もうこの世界から外に出てもいいかな。一回リセットしなくては」と思っていたころに『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』(金子修介監督、1999年公開)という映画を見て、これがすごく衝撃的でした。」
■平成ガメラ三部作の完結編ですね。
粟津
「ええ。『ガメラ 大怪獣空中決戦』(金子修介監督、1995年公開)も『ガメラ2 レギオン襲来』(金子修介監督、1996年公開)ももちろん見ています。平成ガメラ三部作はどれも素晴らしくて、「日本でもここまでできるんだ!」とびっくりしました。当時たくさんCG専門誌が出ていて映画のメイキング記事などが載っていたんですが、それを読むと「あ、そんなに特殊なことをやっているわけじゃないんだ」ということがわかったんです。普通に売っているマシンを使っているし、ソフトも市販のものを組み合わせてなんとかやりくりしていたり、カット割りやカメラワークを工夫して迫力を出していたり。日本のCGクリエイターたちがそういった創意工夫を積み重ねて映像を作っていることを知って、「このやり方なら自分にもできるかもしれない」と思えたんですね。それまでは「海外のすごい人たちがやってること」と思っていたCGと自分との間にあった「溝」が埋まった気がしたんです。それで、大学院を卒業後、CGの専門学校に入りました。 」
■日本画科出身のCG学生は、ちょっと異色のキャリアだったのではないですか。
粟津
「そうですね。でも美大で学んだことはCGを勉強する上でもいろいろと役に立ちました。就職活動のときのポートフォリオも、半分はCGで、もう半分はデッサンでした。そうすると注目してもらえて、有利だったと思います。CG業界はまだできて間もないので、常に新しい人が出てくるし、日々新しい技術やソフトもどんどん開発されている。自分もどんどん仕事をしながら新しい価値を見いだしていける、そういう自由な空気が自分の気質に合っているなと思います。」
『ほしのこえ』に背中を押されて『ネガドン』の制作を決意(粟津)
■粟津さんの就職先もCGの会社だったのですか。
粟津
「ええ、映画のポストプロダクションの仕事がメインの会社でした。それで、同僚から「これすごいから、見たほうがいいよ」って貸してもらったのが『ほしのこえ』のDVDでした。さっそく見て、「うわっすごい! とうとう個人でアニメを作る時代が来たか!」ってびっくりしました。内容と同時に、作品の長さが30分近くあることにも驚きました。パソコンで短編アニメ作品を作る人はぽつぽつ出てきていたので、頑張れば一人で長編映画も作れるんじゃないかと考えてはいましたが、それを新海さんに先にやられてしまった。」
■粟津さんも自分の作品を作りたいと思ってらっしゃったんですね。
粟津
「もちろんそうです。「いつか自分の作品を作りたいな。でも会社の仕事もあるし、なかなか時間がとれないな」とずっと思っていました。だって、会社をやめて一人で自主制作映画を作るなんて、社会人の感覚からするとやっぱり非常識でしょ(笑)。でも、『ほしのこえ』を見て、「あ、作っていいんだ」って、新海さんに背中を押されたというか(笑)、『ネガドン』を作る一つのきっかけになりましたね。」
■『ネガドン』制作中はどんな気持ちでしたか。
粟津
「作っている最中は、いかにしてモチベーションを常に高く保つか、ということがとても重要でした。ずっと一人でこもって作っていると途中で飽きてくることもありますし、満足いくまで細かく細かく作り込んでいると時間がいくらあっても足りなくて、なかなか完成までたどりつかなくなってしまいますし。」
河合
「せっかく完成間近になっても、最初のころに作った部分に対して「いや、もっとうまくできるんじゃないか?」と思って作り直したくなっちゃったりするんですよね。CG技術も日々どんどん進歩しているので、「来月に発売される新しいソフトを使えば、もっといい絵が作れるんじゃないか」と思って待ってみたり。そうこうしているといつまでたっても終わらなくなっちゃうんですけどね(笑)。」
粟津
「そういう意味でも、やっぱり「締め切り」って大事なんだなあって思いますね。「締め切りなんて決めず、完全に自主制作で満足いくまでとことん作りたい!」って思うこともありますけど、そうするとたぶん結局完成しないんだろうなあって(笑)。納期も守りつつ、でも満足のゆく仕事を……というスタイルが理想ですね。」 |
※粟津順監督『惑星大怪獣ネガドン』
(2005年公開) |
もしやすべてが計算ずく!? 新海監督のモチベーションを聞いてみたい!
■お二人とも新海作品への参加は初めてとのことですが、新海さんの印象はいかがでしたか。
河合
「結構普通のお兄さんみたい、という感じですね(笑)。一人で『ほしのこえ』を作った人、というイメージがあったので、閉鎖的な感じなのかな、と思っていたんですけど、そんなことは全然なくて。むしろ社交的というか、スタッフに気を遣ってくれて、みんなにいろいろ話しかけてくれたり。」
粟津
「いわゆるわがままなクリエイターの気難しさみたいなものは一切なくて、やわらかい印象でしたね。とはいえ、スタッフとしては、制作作業中は自分の仕事に関すること以外はなかなか話しづらい。新海さんとの打ち合わせのときに、本当は「このシーンにツバメが出てくることにはどういう意味が含まれているんですか!」って聞いてみたいけど、もちろん実際にはそんなことは聞けなくて、「じゃあこのツバメの飛ぶスピードはこれぐらいで……」っていう実務的な会話になる(笑)。だから、制作が終わったら、新海さんがどんな気持ちで今回の作品を作ったのか、ぜひ尋ねてみたいですね。『星を追う子ども』はこれまでの新海さんの作品とはずいぶん違う内容になっていると思うんですが、「なぜ今これを作ったのか?」「どういう意識の変化があったのか?」を聞いてみたい。僕も映像作品を作っている人間なので、監督の心境に興味があります。」
河合
「もしかしたら全部計算ずくなんじゃないですか。「このツバメの意味は……」とかも全て頭の中で完璧に考えていそう(笑)。」
粟津
「えー、いやー、どうなのかなあ。だけど今回の「脱・新海」的な作品作りが、本当に新海さんの計算だとしたら、それはすごいことだなと思いますね。クリエイターって、作品を積み重ねるごとに作家のファンのコミュニティができてくるわけですよね。その中で作品を作り続けるのか、あるいはそこから出るのか。外に出ることは、作家にとってすごく難しいし、勇気がいる選択だと思うんですよ。今回の作品がどのように受け取られるか、非常に興味深いですね。」
※『星を追う子ども』でツバメの登場するカット
■新海さんとの仕事を通じて、なにか感じることはありましたか。
粟津
「正直、ここまで新海監督自身が細かく手を入れているとは、想像していませんでした。妥協することが全然なくて、「なるほど、こうやって新海さんの作品の高いクオリティは保たれているんだな」と驚きましたね。あんなにすべての領域にわたって作品をコントロールしている監督は、アニメーション業界の中でも新海さんだけなんじゃないかと思います。撮影も、キャラクターの色一つをとっても、最終的に新海さんが全部チェックして手を加えている。だから、どれだけ制作規模が大きくなってスタッフが増えても、『ほしのこえ』のような個人制作の頃の作品と同様、「新海テイスト」は変わらずに表現されているんだと思います。今回の作品は、もちろん劇場の大きな画面で見てもらいたいですし、さらにできればブルーレイディスクが出たらぜひコマ送りで1コマ1コマチェックしてほしいですね(笑)。」
【インタビュー日 2011年2月24日
聞き手・「構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】 |