商業作品で蓄積してきた自分の技をぶつけたらどう跳ね返ってくるか、
新海監督に挑むつもりで参加(中田)
■新海監督とお仕事されるのは、今回が初めてでしたか。
岩崎
「僕は知り合いの紹介で『雲のむこう、約束の場所』の第2原画(ラフな原画をクリンナップする仕事)をやっていましたが、そのときは自宅作業だったので監督に会うことはありませんでした。ですから、ここまで本格的に新海作品に関わるのは今回が初めてです。僕は『ほしのこえ』をリアルタイムで見たのですが、背景美術が本当に美しいし、携帯メールのやりとりにだんだん時間がかかるという物語も僕好みで、「これを一人で作れるなんて、世の中にはすごい人がいるんだな」と驚きました。でも、僕の中では新海さんは"別枠"でやっている人という位置付けでしたね。新海監督は個人作家であって、商業アニメーションの人ではないと感じていたので、まさか一緒に仕事することになるとは思っていませんでした。」
中田
「俺は『ほしのこえ』の前の『彼女と彼女の猫』を見て、新海さんのことを知りました。俺がこの業界に入ったきっかけは『ネオ・ファンタジア』(1976年、ブルーノ・ボツェット監督)という作品なんですが、『彼女と彼女の猫』にはそれに近いものを感じたんですね。「センスさえあれば一人でここまで完成度の高い作品ができるのか」ってびっくりしました。でも『ほしのこえ』は、はっきりいってあんまり好きじゃないんですよ(笑)。テレビアニメっぽいというか、「どうして『彼女と彼女の猫』を作れる人が商業寄りに来ちゃったんだろう」って思いました。作品の受け止め方は人それぞれだと思うんですが、商業アニメの仕事をしてる俺にはそう感じられたんですね。「こっち側に来なくていいのに」って(笑)。でも新海さんという人がどういう人なのか興味があったので、今回初めて参加しました。俺が今まで商業作品で蓄積してきたものをぶつけたら新海監督はどう反応するか、いっちょ挑戦してやろうと思って。」
岸野
「挑戦ですか!? 私も初参加ですけど、挑戦とか、全然考えなかったですよ(笑)。新海さんのこれまでの作品を見て「すごくきれいなアニメーションだな」と感動したので、なるべく新海さんの絵コンテ通りになるよう描こうと思いました。」
■制作に参加されたのはいつごろですか。
岸野
「2009年11月です。」
中田
「2009年12月……だったかな。俺、仕事終わると全部忘れちゃうんですよ(笑)。」
岩崎
「僕はみなさんよりもちょっと遅れて、2010年3月です。オファーは多分同じ時期にあったりするんですが、みんなフリーでスタジオを渡り歩いていますから、その前にやっている仕事が終わってから加わるんです。」
■皆さんが参加された段階ではまだ新海監督の絵コンテは完成していなかったんですか。
中田
「そうですね、絵コンテが最後まで完成したのが2010年の5月末でしたから、絵コンテができているパートから順次、原画作業を始めていきました。」
岸野
「その時期の新海さんは、ご自宅での絵コンテ作業と、原画チェックのために週3日ほどスタジオに来ていました。原画チェックが終わると「じゃあ絵コンテを描きに帰りますー」ってまたお家に……。お休みがなくて大変そうだなって思ってました。」
スタッフのやる気を引き出して描かせるのがうまい新海監督。
大変でも、描いた分だけいい作品になると信じられる。だから頑張れる(岩崎)
■新海監督の絵コンテをお読みになられて、どのように感じられましたか。
岩崎
「監督の絵コンテは伝えたいことが明確で緻密だったので、作画的にはありがたかったですね。テレビアニメの場合、人にもよりますが、記号的にざっくりとした絵コンテを描く人もいますから。」
中田
「そういう人でも描いてるうちにだんだん上手くなっていくものですけどね。絵コンテだけでなく、作画打ち合わせのやり方にもそれぞれの監督の個性が出るんですよ。「こういう絵が欲しい」というイメージを持っている人もいるし、絵コンテを読み上げてオシマイという人もいる。新海監督は、確固としたイメージがあると同時に、こちらのアイデアにもすごく耳をかたむけてくれました。もちろん全部取り入れられるわけじゃなく、新海さんが「いいな」と思ったアイデアだけOKが出るんですが。」
岩崎
「新海さんは、常になにか新しいことに挑戦している感じがある人なので、アイデアの出し甲斐がありましたね。こちらの意見はちゃんと聞いてくれつつ、新海監督自身の軸はブレないので、安心できました。仕事をしているのが同じフロアというのもよかったです。普通、監督ってスタジオにあんまり来なかったり、別の場所にいたりするんですよ。だけど今回はすぐ隣りに監督がいるという環境だったのでちょっとしたことでもすぐにアイデアを伝えることができました。「こういう動きはどうだろう?」と思いついたら、スタジオにあるクイックチェッカー(キャラクターの動きなどを確認するPCアプリケーション)でラフを撮影して、すぐに新海さんに見てもらえる。そうすると「いいですね」とか「ここはもっとこうしましょう」という指示が監督から出て、また描き直す。こういうダイレクトなやりとりというのは、ちょっと面倒な気もしますけど、不思議と苦じゃなかったですね。」 |
クイックチェッカーでチェック中の画面。
作画した絵を撮影し、パラパラマンガのように動きを確認できる。
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中田
「的確なんですよ、指示が。新海さんは抽象的なことを言わないんです。「こういう感じで……」とか「もっとこの絵をドーンと……」というような曖昧な言い方ではなく、レイアウトチェックの時も原画修正の時も、どこをどういうふうに直したらいいのか具体的に言ってくれるので、迷うことなく作業を進めることができました。」
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岸野
「新海さんも作画監督の西村さんもすごく温厚な方で、打ち合わせもとってもなごやかに進みました。新海さんは、作画スタッフに修正指示を出す前に、毎回必ず「素晴らしいですね! ありがとうございます!」ってこちらの仕事を褒めてくださるんですよ。その褒め言葉のあとに「ここをもうちょっとだけ、こうしていただけますか」と指示が続くんです。」
岩崎
「人をのせるのがうまいんですよね、新海監督は。スタッフ皆が気持ちよく仕事できるようにと気を配ってらっしゃったんだと思います。だけど本当に毎回「素晴らしい!」と言ってくださるので、途中でちょっと疑心暗鬼になったりして「この新海さんの『素晴らしい』という言葉の裏には、もしかして『お前もっと頑張って描けよ』っていう意味が込められているのかな」って思ったり(苦笑)。」
中田
「でもごくたまにピリピリッとしていることがあったよね、西村さん。プロデューサーや制作進行スタッフとスケジュールの話をしているときに『そんな無茶なスケジュールでは出来ません!』って。あと、枚数制限が出たときとか。」
■枚数制限とは?
中田
「このカットの原画は何枚以内でおさめてくれ、というような指示が制作から出ることがあったんですよ。枚数が多くなればなるほどコストがかかりますから。」
岸野
「でも、どうやったって、枚数かかるカットは、かかっちゃうものですよね。」
中田
「枚数を減らすためのテクニックはいろいろあるんですよ。例えば人物の手前に大きなモノを置いて動きがわからないようにするとか、レイアウトを切る段階でやりようはあります。でも、それはやっぱりテレビアニメ用のテクニックなんですよ。それじゃあ劇場用映画にならないし、新海さんの作品ならなおさら全部描かなくちゃ。」
岩崎
「新海さんは芝居をごまかさないですからね。とにかく全力でやる監督なんですよ。僕は後半の戦闘シーン(雨の中でシンと僧兵が戦っているシーン)を描いたんですが、「シンが戦っている後ろの方で、モリサキがアスナを抱えて走り去る」という演出がありました。観客はシンの動きに注目しているだろうし、雨の中で暗いし、その二人に気付く人はあまりいないだろうからごまかすことは出来るんでしょうけど、新海監督はきっちりと伝えたいという方なんです。だから僕も頑張ってちゃんと描きました。」
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新海監督のレイアウト修正。
左上に走り去るモリサキとアスナの描写が。 |
完成画面 |
岸野
「私はアスナたちの学校のシーンを担当したのですが、教室にいる生徒たちをどれだけ動かすか悩みました。作画作業が始まってすぐのころのシーンだったので、「よーし、動かせるだけ動かそう!」と思って描いたんですが、今見ると「ちょっとムダだったかもなあ」って思いますけど……。」
中田
「いや、それはムダじゃないよ。たとえお客さんがメインキャラや手前のモノしか見ていなかったり、後ろの方のキャラは暗くてよく見えなかったとしても、作画スタッフとしてはとにかく全力で全部描くしかない。それが映画の作画というものなんです。」
岩崎
「だからこそ、何度見ても面白いと思ってもらえるものになっていると思いますよ。」
岸野
「「あ、あの子、こんな動きしてるんだ!」とか、見るたびに新しい発見をしてもらえたら嬉しいですね。」
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岸野さんが担当した教室のシーン。
10人以上の生徒が一斉にガヤガヤと動き、とても表情豊か。 |
他の人が描きたがらないものを描く。実際に自分で動いてみる。
それが自分の絵の強みにつながる(中田)
■それでは続いて、アニメーション業界に入られたきっかけをうかがいたいと思います。まず中田さんにお聞きしたいのですが、もともと幼い頃からアニメーターを目指してらっしゃったのですか。
中田
「うちは両親とも絵が好きだったんですよ。特に母はマンガが好きで、「天才バカボン」や「まことちゃん」や「がきデカ」なんかを楽しんでいて、俺にも読ませていたんです。普通の親だと「そういうのは読んじゃダメ!」っていうものだと思うんですけど、ちょっと変わってるんでしょうね(笑)。父はサラリーマンだったんですが、息子にはサラリーマンの辛さを味わわせたくなかったみたいで(笑)、俺に何か才能があるならそれで食っていってほしいと思っていたようです。そういう環境で育ったので、俺が絵の道に進みたいと言ったときも特に反対されませんでしたね。それで高校を卒業後、専門学校に入りました。」
■アニメーションの専門学校ですか。
中田
「最初は映像の勉強をしたくて、映像の学校に進むつもりでいたんですが、突然「やっぱりアニメやりたい」と思い、東京デザイナー学院のアニメーション科に進路を変更しました。ちょうど俺が子どもの頃ってアニメがすごく盛り上がっていた時代なんですよ。小学生の頃は「宇宙戦艦ヤマト」が大ブームで、高校では「機動戦士ガンダム」がすごく流行ってました。アニメが大好きな友達がいて、そいつに連れられてガンダムの劇場版を見に行ったりしましたね。だから、「アニメやりたい」って思い立ったのも、その友達の影響だと思います。」
■お友達もアニメーション業界に進んだんですか。
中田
「いやー、そいつは普通にサラリーマンになっちゃいましたねえ(笑)。専門学校では森やすじさんという伝説のアニメーターさんが教えてくださって、とにかくすごい方だったので俺は森さんにくっついてたんです。そのころ森さんは日アニ(日本アニメーション株式会社)に所属してらしたので、卒業後そのまま俺も日アニに入りました。日アニでは入社後まず何年か動画を描いて、それから動画チェックの仕事をして、一通りアニメの流れがわかった段階でようやく原画を描けるようになるというシステムだったんですが、やっと原画マンになれた頃、先輩たちと一緒に、なぜか俺も会社を辞めたんです。それで、俺にとって師匠みたいな人がいて……とはいっても弟子とは認めてもらっていないのであえて心の師と呼ぶことにしますけど……その人についていくことにしたんです。そこで心の師にアニメ業界でサバイバルできるように性根を一から叩き直されました。会社に所属してるということは、温室の中にいるようなものなんですよ。特に日アニはフレンドリーであったかい会社でしたからね。だけどフリーになると誰も守ってくれないので、一匹狼としての生き方を徹底的に叩き込まれました。それが26、27歳のことです。その後はいろんなスタジオを渡り歩き、スタジオ4℃で『スプリガン』、ディズニースタジオで『ティガー・ムービー プーさんの贈りもの』、マッドハウスで「MONSTER」などに参加しました。そうやっていろんなタイプの作品に携わり身に付けた技術を、今回の『星を追う子ども』でも活かしています。例えばアクションシーンでは、マントの芝居を細かくつけていますが、そういうのはディズニー作品でたくさんやったんですよ。今回の『星を追う子ども』で得たことも、また次の現場で活かしていきたいですね。」
■今回はどんな絵を担当されていたのですか。
中田
「全てではないですが、馬が出てくるシーンは「俺、描きます!」って手を挙げて、やらせてもらいました。俺の心の師は、馬を描くのがすごくうまいんですよ。だから俺も馬を描けるようになりたいと思って、おかげで今では、資料がなくても馬の動きを描けるようになりましたよ。」
岩崎
「うわっ、すごいですねー。馬って本当に大変ですもん。止まっててくれたらいいんですけど、そういう生き物じゃないですしね(笑)。」
中田
「とにかく「誰もやりたがらないものを1つやろう」って思っていたんですよ。そうすることで、フリーである自分の強みにつながるから。」
岩崎
「でも中田さんには「アクション」「ミリタリー」という強力な武器があるじゃないですか! 軍隊関係や銃器の作画に関しては、中田さんは本当にものすごく詳しいんですよ。サバゲー(サバイバルゲーム)もやってらっしゃるぐらいだし……。」
中田
「いや、サバゲーは、プロデューサーに誘われて始めたの。それまではやったことなかったし、どっちかというと「大のオトナがBB弾を撃ち合って遊ぶなんて……」ってちょっとバカにしてたぐらい(笑)。まさか自分がマシンガンで撃ち合うなんて想像もしてなかったよ。」
岩崎
「えっ、そうだったんですか。てっきり昔からやってらっしゃるのかと思ってました。」
岸野
「サバゲーの次の日は、スタジオで体が辛そうでしたよねー。」
中田
「筋肉痛で、イスに座るだけでも「アイタタタ」ってなっちゃって、まるでおじいちゃん(笑)。でも実際にやってみたら、面白いし、作画の役にも立つんですよ。例えば銃の構え方ひとつとっても、頭で考えて描くよりも自分で実際に構えてみたほうが、絵の説得力が違ってくるんです。馬をもっと上手く描くために、乗馬もやってみようかなあ(笑)。」
アスナは芝居でかわいく見せられるキャラクター。
外見がシンプルな分、内面を描くことに集中できる(岩崎)
■では続いて岩崎さんにお聞きしたいのですが、アニメーション業界に入られたきっかけは。
岩崎
「僕、高校卒業まで、全然アニメーション業界を目指していなかったんですよ。特にやりたいことや目標も無かったので、普通に大学に行って、普通のサラリーマンになるつもりでした。でも大学に落ちてしまって、いきなり挫折したわけです。ちょうどその頃は不景気で、「だったら技術を身に付けたほうが就職できるかも」って思ったんですね。その時、たまたまテレビでアニメの専門学校のCMを見て、ピンときたんです。もともと絵を描くことは好きだったので、「こういう学校があるのか。ここなら就職できるんじゃないか」と思って、その学校に入りました。なので、アニメに詳しいというわけでもなかったんですが、学校に入ってみたら、クラスメイトはアニメが大好きな人ばっかり。そりゃそうですよね、アニメの専門学校なんですから(笑)。そんな濃い友人たちに影響を受け、次第に僕もアニメを細部まで見るようになりました。「このシーンは誰が作画してるのかな」ってスタッフクレジットを調べたり。」
■研究熱心な学生だったのですね。
岩崎
「寮生活だったんですけど、バイトしたり麻雀したりであれこれ忙しく、けっこう遊んでました(笑)。それでも、アニメーターとして仕事したいという気持ちはずっと変わらず持っていて、卒業後はスタジオ雲雀というところに拾ってもらいました。ちょうどその頃、女の子がたくさん出てくるアニメがテレビで放送され始めていた時期で、僕もそういった萌えアニメに参加することが多かったです。今回の『星を追う子ども』は名作劇場的なキャラクターデザインだったので、最初の頃は「僕だけ違うジャンルから来たんじゃないか? 線のタッチが違うんじゃないか?」ってビクビクしていました。名作劇場やディズニーの作品を経験してらっしゃる方は皆さんやわらかい線が描けるんですよ。作画監督・キャラクターデザインの西村さんも、原画の箕輪博子さんも、中田さんもそうですよね。僕にとっては羨ましかったです。」
■アスナは、これまで岩崎さんが描いてこられた女の子キャラとはどういう点が違いますか。
岩崎
「萌えアニメだと例えばメガネっ娘とかツインテールとか、妹キャラとかツンデレとか、そういった強い特徴を持ったキャラクターが多く出てきますが、アスナはそうではない。でも、そういうシンプルな造形のおかげで、作画においてはキャラのディテールではなく人物の内面をどう描くかということに集中できるんです。その分、お客さんにも作品のストーリーに深く入り込んで見ていただけると思います。アスナは"芝居でかわいく見せることができるキャラクター"なんですね。西村さんがそういうふうに設計されているんです。」
岸野
「たしかに、お芝居つけやすかったです。」
中田
「その分、作画スタッフにとっては難易度が上がるんだけどね。シンプルなほど難しい。」 |
アスナ キャラクター設定
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岩崎
「どのシーンでも、できるだけきめ細かく芝居をつけることは心がけました。なにげない立ち姿でも、手や足のポーズにそれぞれの作画スタッフのこだわりが出ていたりするので、そこも見てもらえると嬉しいですね。」
アニメーション業界を一度辞めたことで、仕事を冷静にとらえることができ、
再び作画に対する意欲と情熱が湧いてきた(岸野)
■それでは次に岸野さんにアニメに興味を持たれたきっかけをおうかがいします。
岸野
「私も岩崎さんと同じように、子どもの頃はそれほど熱心にアニメを見ていたわけではなかったですね。将来の職業としてアニメーションの仕事のことを考え始めたのは高校3年です。受験勉強の合間にアニメを見るようになって、アニメにとても詳しい友達と話しこんでいるうちに、その子から影響を受けて「もともと絵を描くのが好きだし、そういう道もいいかも」と、アニメの専門学校に進みました。中田さんのお友達と同様、その子もアニメの道には入らずカタい職業に就いちゃいましたが(笑)。専門学校は大阪にあったのですが、私の実家は和歌山だったので学校の寮で生活していました。でも、2年目からは実家から電車で通うことにしたんです。往復6時間くらいかかりましたが。」
中田
「えええっ、6時間!?」
岩崎
「それ、すごくない?」
岸野
「3時間かけて学校に行って、授業を3時間受けて、また3時間かけて家に帰るという感じですね(笑)。週に5日、きちんと真面目に通いましたよ。アニメの勉強をすることについては両親は特に反対しなかったのですが、就職先が東京のスタジオに決まると、上京すること自体にちょっと反対されましたね。でもまあ、「うちの娘は言い出したら聞かないし」ということで納得してもらって(笑)、東京で作画の仕事の第一歩を踏み出しました。最初に入ったスタジオが夢弦館というところで、そこでは「ドラえもん」の作画を描いていたんですが、皆さんご存知の通り「ドラえもん」はものすごく長く続いているテレビ番組なので作画スタッフもベテランの方が多いんですよ。そんな中に新人の私がいきなりポッと入っても、先輩方みたいな完璧なドラちゃんがなかなか描けなくて。来る日も来る日も描き直しで……辛かったです。」
中田
「それはしょうがないでしょ、いきなり上手く描けるわけがないんだし。しかも「ドラえもん」に出てくるような2頭身や3頭身のキャラはクセがあるから、作画力だけじゃなくてある程度の慣れも必要だよ。」
岸野
「でも当時は目の前のことで手一杯で、「上手く描けないのは作画力が足りないせいだ。私はこの仕事に向いていないんだ」って自分で自分を追いつめてしまったんです。そうすると、もうドラちゃん自体が憎く思えてきて……(笑)。」
岩崎
「ドラえもんに罪はないのにー!」
岸野
「それでハッと「これじゃいかん!」と思って、アニメーション業界自体をやめて実家に帰ったんです。25歳ごろですね。」
■ご実家ではどのように過ごしてらっしゃったんですか。
岸野
「アニメーターの時は常に締め切りに追われていたので、とにかく"9時から5時"の仕事に憧れていたんですよ。なので地元では事務のアルバイトをしていました。夕方5時に仕事が終わると夜はたっぷり自由な時間があるから、買い物もできるし映画も見に行けるし、優雅な生活でしたね(笑)。でも3年もそういう生活を続けていると気が済んじゃって(笑)「何か次に向かわないと」と思っていたところに友人から「業界に戻ってこない?」と声をかけてもらい、再び上京しました。一度別の仕事を経験したことで、また新たな気持ちで作画の仕事に取り組むことができるようになったと思います。締め切りに追われる生活は変わりませんけど(笑)。でも、今回の『星を追う子ども』の現場は新海監督をはじめ皆さんすごく規則正しくて、私は今まで完全に夜型人間だったのに昼型になったんですよ。」
岩崎
「皆ちゃんと電車が動いている時間に帰ってましたもんね。他の現場だと2、3日スタジオに泊まってるような人もいるのに。」
中田
「1週間ぐらい泊まる人もいるよ。でもさ、そうしたからって、能率が上がるわけじゃないんだよな。」
岸野
「そうそう! スタジオでずーっと寝袋で寝てる人とかいますよね。家に帰ってちゃんと布団で寝ないと私はダメだなー。」
中田
「キャンプみたいで楽しいんだと思うよ(笑)。」
岩崎
「スタジオにいるだけで仕事してるような気分になるので、ずるずるとスタジオにいたりして……。」
中田
「気分だけだよ(笑)。ちゃんと家に帰って睡眠とったほうがいいよ。規則正しい生活をしないと、40代50代になったときにきついよ。若いころは無理がきくけど、年をとってくると目も悪くなるし徹夜もできなくなるし、長くこの仕事を続けたいならカラダのことを考えないとね。」
岸野
「そういう意味でも、昼型の仕事スタイルや、土日は基本的にお休みなど、スタッフが快適に働いて仕事に集中できるよう、まわりの環境を整えてくださったのはありがたかったです。あとはやはり、新海監督自身の仕事ぶりがすごかったですね。みんなより早く来て、一番最後にスタジオを出るのが新海さんでした。」
悲しいシーンのアスナを描いているときは私まで悲しくなってきた(岸野)
作画しながらキャラクターと気持ちがシンクロすることも(岩崎)
■完成した『星を追う子ども』をご覧になられて、いかがでしたか。
中田
「やっぱり、冷静に、お客さんの目線で……というふうには見ることができないですね。自分が担当した作画シーンが気になって、「ああ、あそこはもっとこう描けばよかった」とかそういうことばっかり考えちゃいます。」
岸野
「私も自分の作画はどうしても気になりますね。おそらくそんなことを気にしているのは私だけだろう、っていうぐらい細かいことが気になってしまうんです。」
岩崎
「この仕事に就いた以上、仕方ないですよね。職業病のようなものです。」
岸野
「でも「ああすればよかった」「こうすればよかった」っていくら考えても描き直しはできないわけだから、もう割り切って「次だ次だ! 次がんばろう!」って思うようにしています(笑)。」
■ おすすめのシーンを教えてください。
岸野
「私が好きなのは夷族の巣からアスナたちが走って逃げるシーンですね。音楽とキャラクターの動きとセリフ、これらのリズムがぴったり合って、コラボ感がすごいんです。何度見てもゾクゾクします。あそこは是非劇場の大きなスクリーンで見ていただきたいですね。ちなみに私が作画したシーンではありません(笑)。」
中田
「俺が一番グッときたのは、ミミとアスナがお別れをするシーンですね。葦舟に乗って「さよなら」と言うアスナの表情も素晴らしいです。あそこは岸野さんの作画ですよね。」
岸野
「あのシーンのアスナを描いているとき、私まで悲しい顔になってたんですよ。「アスナはこの時どんな気持ちだったのかな」って考えながら描いていると、私までアスナと同じ思いになって、自然と悲しい顔になっちゃって……。」
岩崎
「そういう風に描きながら自分の気持ちが重なって動くことってありますよね。一方、ケツァルトルや夷族みたいな架空の生き物を描くときは、動きにしろ感情にしろ全部イチから作り出さなくちゃいけないので、それもまた大変です。ミミとアスナがお別れした後、ミミがケツァルトルの身体に取り込まれるシーンの作画を担当したのですが、「どんなふうに取り込むんだろう?」って悩みました。なにぶん経験したことのない動きを描くのは難しいですね。最初はまだイメージも定まっていなくて、ちょっとおいしそうにミミを口に入れちゃったら新海監督から「これはちょっと……ダメですね」と言われたり(笑)。何度も描き直して、試作を重ねて、西村さんにもいろいろ助けていただいて、最終的には今の仕上がりになりました。」
中田
「それから、俺はやっぱりモリサキに感情移入しましたね。年齢も近い分、モリサキとリサの関係に実生活が重なっちゃって……。多分男ってああいうふうに、ずっと愛しい女を追っかけていくんじゃないかな、と思います。心情的に「分かる、分かる」と感じる男性は多いんじゃないでしょうか。」
岩崎
「僕はアニメで大事なことは脚本と背景美術だと考えているんです。普通、アニメのタイトルを聞いてパッと思い浮かぶのはキャラクターの絵だと思うんですけど、実は作品を見ているときに目に入ってくる視覚情報の大部分は背景美術なんです。それが作品の世界観を形作っている一番の基本なんですよ。無意識のうちに背景美術からその世界感を受け取っているので、美術がきちんとしていないとキャラクターも引き立たない。新海さんの作品はどれも美術が素晴らしいので、僕らが描くキャラクターも「確かにそこに存在している」と自然に受け入れてもらえるんです。また、脚本についても、アスナ、シン、モリサキという3人の主人公がいるお話ですから、誰の視点でこの物語を旅するかでエンディングの捉え方が違ってくるでしょう。3人それぞれにとって必要なエンディングだと思いますし、そこに至る過程にこそ深い意味があるんだ、と見終えてそう感じました。」
どんなにいい絵が描けても、次の日になれば「もっといい絵が描けるはず」と思う。
自分の絵に満足することはない、それが作画という仕事(中田)
■『星を追う子ども』の現場で特に面白いと感じたことは。
岸野
「普段、作画や美術はそれぞれ別々の場所で仕事をすることが多いんですが、今回はすごく近い場所に作画、美術、CG、撮影などほとんどのスタッフが集結して仕事をしていたので、他のセクションの仕事を間近で見ることができ、すごく刺激を受けました。「撮影でこんなにも絵の印象が変わるんだ!」とか「あの背景美術は一体どうやって描かれているのか全然想像できなかったけど、こんなふうに描いているのか!」とか、大変勉強になりました。」
中田
「新海監督は、最後の仕上げ、撮影の細部に至るまで、自身できちんと手を入れているというのがすごいなと思いましたね。」
岩崎
「普通、そこまでできないですよね。」
中田
「でもさ、フィルムってそこが一番大事なんだよね。これはアニメ・実写を問わず映画全体に言えることだと思うんだけど、いくら脚本や俳優の演技がよくても、エフェクトが安っぽかったりすると、ぐっと映画全体の質が下がってしまう。新海監督は、最後の仕上げと撮影の工程が大事だっていうことが分かっていて、しかもすごいスキルを持って、自分の手で妥協なく最後まで詰めていく。やっぱりそこが一番他の監督と違うところだと思いますね。」
■今後、どんな作品に参加してみたいですか。
中田
「やってみたいのはガンファイトものですね。マカロニウエスタンが大好きなんで、拳銃をガンガン撃つような作品を作りたいです。でも、いつまでにやりたい、とかそういう気持ちは特になくて、きっとそのうち、いい時期が来ればやれるんじゃないかって思っています。以前、「ブラックラグーン」というテレビシリーズに関わったとき、Uボート(ドイツ海軍の潜水艦)が出てくる回の後に自分が入ったんです。「ああー、Uボート描きたかったなあー」ってぼやいていたら、心の師に「今はまだお前にとってそういう時期じゃないんだ。後でまた来るから」と言われたんです。そうしたら数年後、『ファースト・スクワッド』(2009年、芦野芳晴監督。日本・ロシア・カナダの合作映画)という作品でドイツ軍を描く機会が与えられて、「本当だな。時期というものは巡ってくるし、望んでいればいつか叶うんだな」と思いましたね。」
岸野
「私もずっと、名作劇場のような絵を描きたいと思い続けていたので、今回参加できてうれしかったです。今後やりたいことは……うーん……なんでもやりたいです(笑)。」
岩崎
「僕も同じく、なんでも(笑)。今は頼まれた仕事をとにかく一生懸命やりたいです。監督の望むものをきちんと形にできる"良い道具"でありたいですね。作画だけでなく、いつか演出もやってみたいな、という思いもありますが、作画に関しても勉強中の身ですし、中田さんがおっしゃられたみたいに、いつかいい時期になればチャンスが巡ってくるだろうと思うので、今出来ることをちゃんとやりたいです。まだまだ自分の仕事に納得できていないところがあるので、いつになったら自信が持てるのかな……って思いますね。」
中田
「自信なんて、ずっと持てないよ。たとえ「よし、うまく描けた!」と思っても、次の日になったら「なんでこんな絵を描いちゃったんだろう。今日はもっと上手く描けるはず」って思う。それが作画という仕事をしている者の宿命かもしれないですね。きっと一生、そんなふうに思い続けるんでしょう(苦笑)。」
【インタビュー日 2011年4月8日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】
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