目 次

新海 誠(監督)インタビューコメント3
新海 誠(監督)インタビューコメント2
新海 誠(監督)インタビューコメント1
#26 キノコ・タケノコ(コミックス・ウェーブ・フィルム 制作進行)
#25 木田 昌美(キャスティング ネルケプランニング)
#24 三木 陽子(色彩設計補佐・撮影)・市川 愛理(撮影)
#23 松田 沙也(脚本協力)
#22 李 周美(撮影チーフ)
#21 真野 鈴子・玉腰 悦子・中嶋 智子(動画検査・動画)
#20 木曽 由香里・鮫島 康輔・釼持 耕平(アンサー・スタジオ 制作)
#19 箕輪 ひろこ・田澤 潮(原画・作画監督補佐)
#18 三ツ矢 雄二(アフレコ演出)
#17 渡邉 丞・滝口 比呂志・泉谷 かおり(美術)
#16 池添 巳春・本田 小百合・青木 あゆみ(美術)
#15 中田 博文・岸野 美智・岩崎 たいすけ(原画)
#14 竹内 良貴(CGチーフ)
#13 肥田 文(編集)
#12 多田彰文(編曲・アレンジ)
#11 熊木杏里(主題歌)
#10 粟津順・河合完治(撮影、CG)
#09 野本有香(色指定・検査)
#08 廣澤晃・馬島亮子(美術)
#07 土屋堅一(作画監督)
#06 天門(音楽)
#05 丹治 匠(美術監督)
#04 西村貴世(作画監督・キャラクターデザイン)
#03 井上和彦(声の出演)
#02 入野自由(声の出演)
#01 金元寿子(声の出演)

箕輪 ひろこ(みのわ ひろこ)・田澤 潮(たざわ うしお)『星を追う子ども』原画・作画監督補佐 #19

【箕輪 ひろこ プロフィール
1983年日本アニメーション(株)入社。
TV名作劇場シリーズに参加。退社後フリーとして、主に原画を担当。
参加作品に『耳をすませば』『もののけ姫』『ティガームービー』「My Friends Tigger & Pooh」など

【田澤 潮 プロフィール
1973年埼玉県生まれ。
2000年STUDIO4℃退社後、フリーの原画マン・演出家として多数のアニメ作品に参加。主な作品に『雲のむこう、約束の場所』キャラクターデザイン・総作画監督、『秒速5センチメートル』原画、「大成建設TVCM“新ドーハ国際空港”篇」『一輪者パイロットフィルム』「中学生日記OP」監督など


『星を追う子ども』には、これまで新海監督が影響を受けてきたたくさんの作品の要素が入っている。
それらと決別し、次の段階に進むためにも、この作品を作る必要があったのでは(箕輪)

■まず、新海作品との関わりについて教えてください。

箕輪
「私が新海監督の作品に参加したのは『秒速5センチメートル』が最初です。西村貴世さん(『秒速』『星を追う子ども』作画監督。インタビュー♯04)とディズニー・ジャパンでお仕事を御一緒させていただいたつながりで、西村さんに誘っていただいたのがきっかけです。西村さんが『雲のむこう、約束の場所』の原画を描いてらしたことは知っていたので新海監督のお名前は存じていたのですが、作品を見たことはなく、『秒速』の仕事に入るにあたって『ほしのこえ』と『雲のむこう』を見ました。とても面白かったです。新海監督とお会いする前に、『秒速』のコンテをいただいたのですが、この時はまだ1章目しか出来ていなくて別の仮タイトルがついていたんですよ。そのコンテを見て「こ…こんな甘甘なタイトルの、男の理想と妄想が交錯した作品の原画を、私なんかが描いていいんだろうか……」と思いました(笑)。実際に監督にお会いしてみると、礼儀正しくて、自分の考えを説明できる大人な方だったので、安心しました(笑)。今回も声をかけていただき、嬉しかったです。『星を追う子ども』では原画と作画監督補佐の仕事をやらせていただきました。」

田澤
「僕は『雲のむこう、約束の場所』でキャラクターデザインと総作画監督をやりまして、その後『秒速5センチメートル』では原画として、そして今回の『星を追う子ども』では、僕も箕輪さんと同じく、原画と作画監督補佐として参加しました。僕は2009年から2010年にかけてオリジナルの『一輪者 ICHIRIN-SHA』という作品のパイロットフィルムを作っていて、それが完成してからこちらに入ったので、作画作業の後半段階からスタッフに加わりました。」

■今回の絵コンテを読んで、どのように感じられましたか。

箕輪
「新海さんの過渡期にある作品だな、と理解しました。これまで新海監督が影響を受けてきた様々な作品やいろんな思いを全部詰め込んで、やりたいことを全部やる。そうしてそれらと決別して次の段階に行くために、とにかくこの作品を作らなくちゃいけないんだ、という決意のようなものを感じました。実際にどういうつもりで描いたのかは本人に聞かないと分からないですけど(笑)。ただ、コンテの絵柄やコンセプトボードから非常にジブリ作品っぽい印象を受けたので「ちょっと大丈夫かな」と心配になりました。新海作品にとってジブリのイメージに近いことがいいことなのかどうか分からなかったんです。どちらのファンにしても拒絶反応はあるだろうと思いましたし、テーマや内容は良くてもむしろ絵柄で損してしまうんじゃないかという気がしたんですよ。そういう私の不安や心配を新海監督にもお伝えしたのですが、新海監督ははっきりとした狙いと意志をもって「今回はこの絵柄でいきます」とおっしゃられたので「それなら、やるしかない」と覚悟をきめました。」

田澤
「実は僕は、全体のシナリオや絵コンテなどはあえて見ていないんですよ。自分の担当したパートのコンテだけを読んで仕事しました。完成した作品を、一観客としてまっさらな状態で見たかったので、必要な情報以外は知りたくなかったんです。もちろん最初に、全体の概要や設定は見せていただきました。確かにぱっと見の印象はこれまでの新海作品とは大きく違いましたよね。新海監督は『秒速』である意味行きつくところまで行きついたと思うので、次はどういうものを作るのかなって、楽しみにしていたんです。そうしたら、少年少女の冒険ありアクションありというファンタジーで、こういう世界観の作品は面白そうだなと思いました。でも、キャラクターがここまで日アニ的なデザインになるとは予想していませんでしたね。」

監督からは「夷族はトラウマになるぐらい怖く描いて」という演出が(田澤)
料理シーンは実際に作って観察して描く。でももちろん思い通りにはいかなくて……(箕輪)

■担当されたカットはどういったシーンが多かったですか。

田澤
「後半の、モリサキと別れたアスナが夜明け前に夷族に囲まれたところに、シンが助けに来るというシーンを中心に描きました。新海監督からは夷族の描き方について指示があり、「この映画を見てくれる子どもたちにとってトラウマになっちゃうぐらい、夷族を怖く描いてくれ」と言われたんです。なので、夷族のサイズが結構大きくなりました。たしか他のシーンだと、わりと小さい夷族がワサワサ出てくる箇所もありますよね。だから、自分で描いている最中「あれ? 夷族ってこんな大きくていいのかな?」ってちょっと不安になったんですけど、「いや、大きいのも小さいのもいるんだ!」って自分に言い聞かせながら描いていました(笑)。」

新海監督による夷族の作画指示。
「子供のトラウマになってしまうモノを目指し
ましょう!」とのコメントが。

田澤さんが担当した夷族のカット

箕輪
「私はアスナが料理をしたりごはんを食べたりするという、生活芝居のカットが多かったですね。結構ねちっこく描いちゃって(笑)もうちょっとさらっとうまく描けたらもっと良くなったんじゃないかなーと思うんですけど、どうでした?」

田澤
「料理シーンすごくおいしそうでしたし、食べているアスナの表情もいきいきしててすごくよかったですよ! 箕輪さんの絵は、一つ一つの動きが本当に細かくて丁寧ですよね。味噌汁を作っているアスナがほうれんそうを切ってバラッとなるところがいいですね。あそこ、好きなんです。」

箕輪さん担当のほうれん草を切るカット 原画 完成画面

箕輪
「料理シーンは新海監督からも写真参考をたくさんいただいて、「これは真面目に描かざるをえないな」と思い、実際に同じ味噌汁を作ってみましたよ。かぼちゃとにぼしを煮て、その様子を観察して。でも実際には、全然思った通りの動きをしてくれないというか、かぼちゃは皮がついている方が重いから沈んでしまって、お湯の中をぐるぐる回ったり持ち上がったりしないんです。でも「これじゃ絵にならないなあ」って思って、ちょっと嘘ついて描きました(笑)。アスナ以外では、ミミの動きを描くカットも多かったですね。」

■ミミが焼き魚を食べるときに、お皿をぐぐっと押して前に進んでしまう動きが面白いです。ああいう動きも猫を観察して描いてらっしゃるんですか。

箕輪
「いや、ああいうのはアドリブですね。特に深い計算があるわけでもなくて、なんかこう、原画を描いていると、自然と「あっ、ミミはこう動きたいんだろうな」という時があるんです。人によってやり方は違うと思いますが、私の場合は、まずいろんな猫の映像を見て"猫的な動き"をインプットしてから、「ミミならこう動く」ということを考えて、あとはもう本能のおもむくまま描いています。
 アスナの動きは、前半パートでは地道な芝居を描いていたんですが、まさか後半に入って、アスナがあんなに激しく動き回る子になるとは思いませんでした(笑)。田澤さんが描かれたアクションシーンもすごいですよね。」

田澤
「結構激しく動きますね。もちろんあまりにも僕が描いた部分だけがおかしな動きになってしまってはいけないので、他の方が担当された前半のアクションシーンの動きなども見せていただいて、デフォルメ具合などを確かめながら描きましたが。でも、キャラクターの動きには原画を描いている人間の個性がどうしてもにじみ出るものですよね。」

箕輪
「原画って、描いた人の人間性が出ますね。例えば、土屋さん(『星を追う子ども』作画監督。インタビュー♯07)の原画はいつも素晴らしいと思うのですが、真似できない。シンプルで、的を射ていて、無駄なものがない。おそらく土屋さんご自身がそういう方なんじゃないかと思います。私は無駄なものだらけでできているので、絵も無駄が多くて……(苦笑)。田澤さんの原画は非常にユニークですよね。私には想像も及ばないような動きにビックリしました。それが映像になったときがまたカッコイイんです! あれは動きを計算して描いてらっしゃるんですか?」

田澤
「いえ、それこそ行き当たりばったりで描いているんですよ。考えてから描くんじゃなくて、描きながら考えているので、僕もすごく無駄が多いです(笑)。描いて直して、また描いて直す、という感じですね。似たような下書きを何枚も描いて「これでいいのかな」と迷ったり。そうすると原画がなかなか上がらなくて、プロデューサーから「もういいよ、やり過ぎだよ」ってよく怒られちゃいましたね。」

箕輪
「私もです。体力の限界までじっくり描いてしまうんですよ(苦笑)。制作進行さんから「そろそろ出してください」と言われて「ああ、時間切れだ、もうこれで行くしかない!」という感じで迷いを吹っ切って最終的には描き上げています。締め切りというものがなかったら、きっと終わらないんじゃないかと思いますね(笑)。」

専門学校卒業後に入社したのは幼い頃夢中だった名作劇場を作っていた会社(箕輪)

■アニメーション業界に入られたきっかけについてお聞きしたいと思います。まず箕輪さんにうかがいたいのですが、やはり子どもの頃からアニメがお好きだったのですか。

箕輪
「そうですね。詳しくはないですが、普通に見ていました。中でも「母をたずねて三千里」にはまりました。オープニングで「画面設定レイアウト 宮崎駿」「監督 高畑勲」とスタッフの名前が出てきますよね。私にとってアイドルみたいな存在でしたね。当時はアニメーターという職業も知らなかったんですけど(笑)。高校を卒業後、東京デザイナー学院のアニメーション科に進みました。就職活動は、学校に求人票が来ていた会社をあちこちまわり、世界名作劇場などを作っている日アニ(日本アニメーション株式会社)に入りました。」

■箕輪さん自身が幼い頃に見て育った作品を作っている会社に入られたわけですね。

箕輪
「そうですね、ど真ん中ですね(笑)。ただ、日アニを選んだ理由はそれだけではなくて、固定給を出してくれるスタジオは当時あまりなかったんですよ。たいてい出来高制だったり、基本給プラス出来高制でした。その点、日アニはちゃんと社員契約して固定給を出してくれる珍しい会社だったんです。動画を2、3年やって、動画チェック、原画、作監補と経験して、フリーになりました。その後は知り合いのつてでいろいろ仕事をもらって、あちこちのスタジオを作品ごとに転々としています。スタジオジブリでのお仕事もその中の一つです。」

■自分にとってアイドルのような存在だった宮崎監督と一緒に仕事することになったときは、どんな心境でしたか。

箕輪
「嬉しかったですね。『紅の豚』の原画をやった時はまだまだ無我夢中で、どうにかやっていたという感覚ですね。自分のことで精いっぱいで現場のことはよく覚えていないんですよ。主人公にストレッチ・スクオッシュ(キャラクターがゴムのように伸びたり潰れたりする動き)をさせて、宮崎監督に呆れられたりしました(笑)。目の前でレイアウトラフを直して下さるんですけど、自分のレベルが低くて、恥ずかしかったですね。あれから随分経ちましたが、今でも「私、絵、下手だなあ」といつも思います。「監督から求められているものを描けない」というのはもちろん辛いことですが、「自分の中では、ここをもうちょっとこういうふうに描きたいんだけど、描けない」というのもまた辛いですね。実際、思い通りに描けるわけじゃないんですよ。いや、描ける人もいるんでしょうけど……。」

田澤
「僕も同じで、「描けないなあ」って何度も思いますよ。上手い人はほんとに上手いですからね。いわゆる天才みたいな人が描いた原画はパラパラッとめくるだけで感動してしまうし。そういう人にはまだまだ全然及ばないなって思います。」

坊主頭で自作の恋愛漫画を出版社に持ち込んだ中学生時代。
「憧れの監督に会いたい」という動機でアニメスタジオに就職!? (田澤)

■では続いて田澤さんにうかがいたいのですが、アニメーションの道に進まれたのはどういったきっかけだったのですか。

田澤
「小中学生の頃は、アニメがすごく好きでしたね。『アニメージュ』をはじめ、『ニュータイプ』『アニメック』などアニメ雑誌もバリバリ読んでいました。ガンダムをはじめサンライズ系のメカものの作品も大好きで全部見ていましたし、プラモデルも作っていました。実はその頃の僕は、大河原邦男さんや出渕裕さんや河森正治さんみたいなメカデザイナーになりたいと思っていたんですよ。その頃から漫画も描いていて、中学生の時、集英社や講談社に原稿を持ち込みましたね。坊主頭で(笑)。内容は、たしか恋愛漫画だったかな。」

箕輪
「どこかに原稿残ってないんですか?」

田澤
「たとえ残っていたとしても、絶対に見せたくないです(笑)。高校ではビデオ研究部というところに入りました。そこは部室にいっぱい映画のビデオがあって、部員になると借りることができたので、それ目当てでした(笑)。高校卒業後は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいな映画を作りたいなと思って映画の専門学校に入ったんですが、1年どころか半年ももたずにクビになったんですよ。」

箕輪
「クビ!? 専門学校って、クビになるの? 何をやらかしたんです?」

田澤
「何もやってないんですよ。本当に、文字通り、勉強も何もしてなかった(笑)。そうしたら学校の掲示板に貼り紙があって、「落第者」というところに自分の名前が書かれてあったんです。いやー、学校というところを甘く見ていましたね……。それで、色々反省して地元の自動車整備会社に就職しました。昼間は車検整備をやって、夜は整備の専門学校に週何日か通うという生活でした。」

■メカ好きだから、自動車整備の仕事を……。

田澤
「ははは、関係なくはないかもしれないですね。でも、やっぱり絵を描く仕事がしたくなり、2年で整備士をやめて、東京の友達の家に居候しつつバイトしながら絵を描いたりしていました。その頃、スタジオ4℃の森本晃司監督が作ったアニメーション作品を見て、ビビッときたんです。ケン・イシイの「EXTRA」のPV(1996年)はとても衝撃的でしたし、『音響生命体ノイズマン』(1997年)はすごくカッコよかった。それで、スタジオに行ったら森本さんに会えるんじゃないかと思って、自分の絵を持ってスタジオ4℃に行ってみたんです。すごい迷惑ですよねえ(苦笑)。」

箕輪
「体当たり人生ですねー。」

■森本監督に会えましたか?

田澤
「ハイ、幸運にもたまたまスタジオにいらしていて会えました。ものすごく緊張したことを覚えています。それで自分の絵を森本さんに見てもらって「何がやりたいの? うちに入りたいの? 来る?」と言われて、そのままスタジオに入ることになりました。それが25歳の頃です。」

箕輪
「じゃあ、もし仮に森本さんがその時スタジオにいなかったとしたら?」

田澤
「アニメ業界にいなかったと思います。そもそもアニメをやりたいとかそういう動機じゃなくて、最初のきっかけが「森本さんに会いたい」だったわけですから(笑)。だから、その時点ではアニメ作りに関して何も知識がないわけですよ。学校に通っていたわけでもないので、動画と原画の違いも、タップ(作画用紙の位置を決める道具)の使い方すらも知らない。最初の半年くらいは見習い期間として、先輩方にいろいろ教わりながら動画を描いていました。初めの頃は全然うまく描けなくて、辛かったですね。それでも2年間頑張って、動画から原画になるのを期にフリーになり、いろいろな作品に参加するのと平行して自主制作アニメも作り始めました。僕が作った「LIFE NO COLOR」という作品がDoGAの第14回CGアニメコンテストでビジュアル賞をいただいたんですが、その時の受賞パーティで新海さんと初めて会いました。新海さんは2年前に同じコンテストで『彼女と彼女の猫』でグランプリを受賞していて、当時『ほしのこえ』がすごく話題になっていました。僕も『ほしのこえ』を見て「これはすごい作品だ」と思い、新海さんに「次はどんな作品を作られるんですか。もしよかったら一緒にやりたいです」と僕のほうからアピールしました。新海さんも原画を描ける人を探していたらしくて、それで一緒に『雲のむこう』の制作に入ることになりました。まず3分15秒のパイロット映像を2002年12月に公開し、「NHKみんなのうた『笑顔』」(2003年4月放送)の制作をはさみつつ、2004年11月に『雲のむこう』が完成、劇場公開されました。」

『雲のむこう、約束の場所』の場面カット。この作品の制作は新海監督と田澤さんの2人からスタートした。

■以前、新海監督は「『雲のむこう』の制作中は体力的にも精神的にもとてもきつかった」とおっしゃられていましたが、田澤さんにとってはいかがでしたか。

田澤
「そうですね、たぶん大変だったと思うんですけど……正直だんだん記憶が薄れつつあります(笑)。あっ、でも、あまりにも後半忙しすぎて、作画監督作業が全然追いつかなくて、西村さんに手伝っていただたんですよね(インタビュー♯04のエピソード参照)。それぐらい大変でした。でも、今見ると『雲のむこう』はなんか恥ずかしくて、まともに見れないですね。自分の過去の作品って、単純に「自分の絵、下手だなー」っていうことが分かっちゃうんで、恥ずかしくて……。」

箕輪
「そういうのって、描いた本人ならではの見方ですよね。私も、自分が描いた部分だけ早送りして飛ばして見たりして(苦笑)。」

■田澤さんは監督作品も多数あり、原画、キャラクターデザイン、演出など多方面でご活躍ですが、やはりそれぞれの仕事によって意識は変わりますか。

田澤
「まったく変わりますね。監督のときは全体の流れや演出に気を配りますが、原画を描くときは演出的なことは考えず、そのカットに集中します。原画も演出もどちらも面白いですが、今後は徐々に演出の仕事を増やしていきたいですね。最近ではNHK教育の「中学生日記」のオープニングアニメーションを監督させていただきました。チャンスがあればこれからもどんどん演出をやっていきたいと思っています。」

今後のためにCG学校で3Dの勉強も開始。一度は転職してみたものの……(箕輪)

■箕輪さんも田澤さんも、動画から原画になられて、フリーになられたのですね。

田澤
「中には最初から原画を描くという人もいるらしいですが、僕は動画は経験しておいたほうがいいと思うんです。あの苦しみは知っておいて損はないです(笑)。」

箕輪
「動画は職人的な仕事ですからね。自分勝手に描こうとするとおかしな動きになっちゃう。原画のやりたいことをくみとって、自分をそれに合わせて描くという感じですね。私は線を引くこと自体で心が落ち着くので、そんなに苦ではなかったですよ。ただ描くスピードが遅くて、よく怒られました。」

田澤
「基本的には1枚描いていくらという世界だから、その人がどれだけ稼いだかがすぐに分かるんですよね。」

箕輪
「それで私、絵もうまく描けないし、スピードも遅いし、もう2Dはやめて3Dの仕事に転向しようと思って、6年前、学校に通ってMaya(3DCGソフトウェア)を勉強したりしていたんですよ。3Dの技術を身に付けて会社に入れば生活が安定するんじゃないかと思って。」

田澤
「えーっ、そうなんですか。実は僕も一時期同じことを考えました。」

箕輪
「卒業後は3Dの会社に入って、CGモデルにモーションを付ける仕事をしていました。でもね、正直、原画を描いているときと比べてギャラも待遇もほとんど変わらなかったんですよ。ああ、どこの世界も厳しいんだなと思いましたね。それにCGの世界って日々新しい技術が入ってきて、それを勉強した若い子がどんどん育ってくるんです。私は20歳の子と比べたら体力もないし、頭の回転も遅い。会社としては「若い人のほうがいいや」というふうになるのは仕方のないことですよね。仕事自体は、覚えることが多くて面白かったのですが、結局、スタジオの照明の暗さに耐えられなくなって辞めました。今はすっかり2Dの仕事に戻っていますね。」

田澤
「でも学校で3Dを勉強して、仕事の経験も積まれたことは、きっと原画を描く上でも役に立っているんじゃないですか?」

箕輪
「そうだといいんですけどねー(笑)。」

あまり身構えず、自然な気持ちで楽しんでほしい。深読みは家に帰ってから……(田澤)
クリエイターにとって変化は絶対に必要。幅がより広がった新海さんの今後が楽しみ(箕輪)

■完成した本作品をご覧になられていかがでしたか?

田澤
「クライマックスからエンディングにかけての流れがすごくて、こみあげてくるものがありましたね。また、映画の内容的にも現在の社会情勢と重なるところがあり、今このタイミングでこの作品が世に出ることに何か意味があるんじゃないかと感じました。」

箕輪
「私はあまり一つの作品として冷静に見ることができないんですよ。どうしても自分が関わってきたこの1年数カ月が思い返されて、「ああー、本当にできたんだなあー」という気持ちで見てしまって(笑)。でも、モリサキには感情移入しますね。奥さんを忘れられず、ずっと気持ちを引きずっているところとか。これまでの作品でも、初恋の人とうまくいかなかったとか、好きな人と別れざるをえなかったとか、そういう状況を作品にしているのが新海監督の面白いところだと思うんです。状況によって恋愛が如何に変化するのかに興味があると言うか。そういう新海監督の興味に私自身とても共感するところがあって、なんというか、新海監督という存在に自分自身を投影させて見ている、というような感覚もあるんです。だからこそ、新海さんがこの先どんなふうに変化していくのか、非常に興味ありますね。今回の作品でやりたいことは全部出し切ったと思うので、きっとこれから世界観が大きく変わっていくんじゃないかなと思うんです。お子さんができたことも今後の作品に反映されてくるでしょうし。」

田澤
「僕もこの夏に初めての子どもが生まれてくるんですが、やはり作品に影響があるんでしょうかねえ。今のところそういう実感はないんですが……。」

箕輪
「影響、きっとありますよ。それはいいことだと思います。ものを作る人間にとって、変化は絶対に必要ですよ。だってずっと同じものを同じように繰り返し作っていたら、ネタ切れになっちゃうでしょ(笑)。変化して、幅を広げた新海監督のこれからの作品をとても楽しみにしています。」

■それでは最後に、『星を追う子ども』の見どころを教えてください。

箕輪
「見どころは……うーん……いっぱいあり過ぎて、どこをお薦めしたらいいか分からないですね(笑)。新海さんの伝えたいことがたくさん詰め込んであるので、見どころテンコモリです。」

田澤
「詰め込んであるんですけど、でも、すごく絶妙なバランスになっているんですよね。詰め込んだ内容の謎の部分を、全て作品の中で明かしているというわけじゃないんです。敢えて劇中では明かさずに、「これだけ言えば分かるでしょう」って、観客の想像力に任せている部分がすごくある。」

箕輪
「明かしそうで明かさないのが、新海作品に共通する特徴かも。『秒速』も突っ込みどころ満載でしょ(笑)。」

田澤
「『雲のむこう』も、「なんでそこはそうなるの?」とか言い出すとキリがないかも(笑)。だから今回の『星を追う子ども』も、予告編やウェブサイトを見たりして「冒険ファンタジーなのか」「今までの新海作品と違うのか」と事前情報を頭に入れて見に行かれる方もいらっしゃると思うんですけど、あまり身構えて見ないほうがいいんじゃないかなって、僕は思います。きっと気楽な気持ちで見ていただいたほうが、スゥーッと作品のメッセージが伝わるんじゃないかな。新海作品の魅力はそういうジャンル分けにあるわけではないので。劇中に出てくるキャラクターの言葉や行動の意味を1コ1コ追おうとすると、謎めいたところが出てくるかもしれませんが、それを深読みするのは映画館を出てから、あるいは家に帰ってから、じっくり探っていただけたらと思います。そのぶん映画館の中では、ぜひ自然に見ていただいて、新海監督ならではの深い"情緒"を感じてほしいですね。僕自身も、実は1回目に見た時よりも2回目のほうが楽しめたんですよ。1回目の時は、「コンテを読んで気になっていたあそこはどうなるんだろう?」という感じで、物語の"謎解き"を期待していたんです。でも見てみたら「ああ、この謎は結局最後まで明かされないんだな」ということが分かったので(笑)、2回目は心を落ち着かせて作品全体を楽しむことができたんです。」

箕輪
「でも細かいところを突っ込みたい方も多々いらっしゃると思いますので(笑)、そういう方は「ああでもない、こうでもない」と色々想像して楽しんでほしいですね。」

田澤
「僕もね、一つ気になっていることがあって……ほら、シンが戦うアモロートの僧兵隊長、片眼を布で覆っているでしょ。彼はマナのお母さんのディナのことが好きだった。でもディナは死んでしまって、マナは宿老と暮らしている。だからもしかしたらかつて僧兵隊長も、モリサキと同じようにディナを生き返らせようとして生死の門に行き、片眼を失ったのではないかと……。」

箕輪
「うわぁ、深読みですねえ!」

田澤
「どうなんでしょうね。まあ、正解は分からないので、自分であれこれ想像して楽しんでいるんですけど(笑)。こんなふうに、映画館を出たあともいろいろ深読みして楽しめる作品だと思いますし、見るたびに違う発見がある映画だと思います。ぜひ、2度3度と映画を楽しんでいただけたら嬉しいですね。」

 

【インタビュー日 2011年5月31日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】

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