Photoshopで絵を描くという発想はなかった(馬島)
■お2人は同じ学校のご出身なんですね。
廣澤
「そうです。僕も馬島さんも、それから美術監督の丹治さんも、3人とも東京芸大の油絵科です。僕は馬島さんの1コ上の学年でもともと知り合いだったんですが、丹治さんはもっと若いので在学中は面識がありませんでした。僕は大学院を卒業してから美術学校の講師をやったりいろいろな仕事をしていたんですが、芸大の先生の助手をしている友達から「アニメーションの美術に興味はないか」と連絡があって。『雲のむこう、約束の場所』の制作初期のころ、プロデューサーがすでに美術スタッフとして入っていた丹治さんを通じて、芸大の先生のところに人材を探しに来ていたんです。その縁で『雲のむこう~』の美術を描くことになったんですが、1枚描いた段階で「これはダメだ、無理だ」と感じ、この仕事はやめようと思ったんです。」
■どうして無理だと思ったのですか?
廣澤
「最初にプロデューサーから新海さんの絵を見せていただいて、「こんな感じで描いてみて」と言われたんですが、どうやってもなかなか新海さんの絵に近づかなくて、1枚描きあげるのにものすごい時間がかかったんです。プロデューサーは「丹治さんなら月に40枚は描くよー」って言ってたんですけど、全然そんなペースで描けないし。これは仕事として成立しないなと思ったんです。だけどいきなりやめるのも悪いから、代わりの人を見つけてからやめようと思って、馬島さんを現場に紹介したんです。」
馬島
「身代わりですか(笑)。」
廣澤
「でも正直なところ、馬島さんがやるとは思ってなかったんですよ。アニメとかにあんまり興味なさそうだなって思っていたし。でも別の用事で馬島さんに電話したときについでに「こういう仕事があるんだけど、どう?」って聞いたら、「やるやる!」って即答で。」
馬島
「そのころ、超貧乏だったんですよ(笑)。大学院を出てキューバの映画学校に留学して、日本に戻ってきて働いていたんですけど、やめてしまって、とにかくお金がなかった。で、なにか仕事しなきゃって思っていたタイミングだったんです。だけど、私もどうやったら新海さんのように描けるのか全然わかりませんでした。それで新海さんの家にお邪魔して、レクチャーを受けたり、新海さんが「Photoshop」(アドビシステムズ社のグラフィックソフト)で実際に絵を描いてらっしゃるところを見せていただいたりして、ようやく描き方を理解しました。Photoshopは画像を加工するくらいのソフトだと思っていたので、それで絵を描くなんていう発想はありませんでしたね。当時はまだスタッフが少なかったので、新海さんから直接教えていただくことができたのがよかったです。」
先が見通せる「作業」ではなく、自分の「頭」と「手」をフル稼働(廣澤)
■『雲のむこう~』のころは、新海さんの家で作業してらっしゃったとか。
馬島
「基本的にはそれぞれ自宅作業だったんですけど、最後の追い込みの時期はスタッフみんなで新海さんの家に泊まり込んで仕事してました。1か月間くらいですかねえ。楽しかったですけど、もうああいう合宿みたいな作り方はちょっと無理ですね。カラダがもたないですよ、廊下で寝たりするのは(笑)。新海さんも私も、みんな若かったんだなあと思います。『秒速5センチメートル』のときは基本的に土日は休みでしたし、今回も最初に丹治さんが「ちゃんと休みはとるようにしよう」と言ってくださったので、カラダは楽でした。」
廣澤
「たしかに体力的な面ではそうかもしれないけど、仕事の内容は今回はこれまで以上にしんどかったですよ。とにかく考えることが多くて、「作業」でできることがほとんどなかったです。今までは、ある程度「これをこうすれば、こうなってああなって、最終的にはこうなる」っていう姿が見えていたから、一つ一つ段階をふんで「作業」していけば完成形にたどりつけるっていう安心感があったけど、今回はそれが全然見えなくて大変でした。監督や丹治さんとの美術打ち合わせのときも、最初のころは新しい世界観を把握するのに必死でしたね。丹治さんは絵コンテの立ち上げ段階から参加してらっしゃるので当然どういう美術が必要かわかっているわけですけど、僕たちは、『ここに生えている花は白いんですか』とかそんなところまで新海さんに確認していたので、ものすごく長時間かかってしまって(笑)。でもだんだん自分で考えるようになったので、最後のほうの打ち合わせは逆にかなりスピーディになりました。」
■丹治さんがインタビュー(♯05)でおっしゃられていましたが、今回は写真レイアウトが一枚も無かったそうですね。
馬島
「ええ、やっぱりそれは今までの作品との大きな違いでしたね。そうするとおのずと、そのシーンの美術に何が必要かを自分で考えたり、資料にあたったりして描く必要が出てきます。今回、山のシーンがたくさん出てくるんですが、その山に生えている植物にしても、季節ごとにどんな草が生えているかを調べたり、花の色や葉の形も記号的にならないようにきちんと種類を特定できるように描いたり。丹治さんたちと一緒に長野県小海町にロケハンに行きましたが、自分が普段いかに山や岩などの自然物をぼんやりとしか捉えていなかったかということに気づかされましたね。ひとくちに山といってもさまざまな形をしているし、植物の種類もすごく多い。私自身、特に都会で育ったというわけでもないんですが、「ああ、今まで山というものをちゃんと自分の目で見ていなかったんだな」って思いました。空の色も岩の肌触りも自分が知っているものとはずいぶん違っていて、こういうところで新海さんが育ったことがあの美術につながっているんだなと納得しました。」
廣澤
「小海は山に囲まれているので、夕方のそれほど遅くない時間、太陽は山に隠れて翳ってはいるんだけど、全体的にはまだぼんやりとした明るさが残っているんです。今回の映画はそういう微妙な時間帯のシーンがすごく多くて苦労しました。今までの新海さんの作品の美術って、明暗のコントラストが強調されている印象があったと思うんですよ。だから、明るく光が当たっているところは白くして、日陰に入っている部分は暗めの色でシルエットを塗り分けて……っていう作業だったんですが、今回は日陰に入っている部分さえ「ぼんやり見えてる」わけだから、結局ひとつひとつ考えながら、しかもシルエットじゃなくて、それこそ葉っぱの一枚一枚まで「そのもの」自体を描かなくちゃいけない。頭も手も動かして、大変でした(笑)。」
ロケハン元写真 |
背景美術画像(廣澤 晃) |
完成カット
既存のブラシでは『星を追う子ども』の新しい世界観は描けない(馬島)
■美術の仕事というのは、具体的にはどういったことから始めるのでしょうか。
馬島
「今回はまず最初に、『星を追う子ども』の美術のための新しいオリジナルのブラシを作るところからスタートしました。」
■Photoshopのブラシツールのブラシですね。
馬島
「そうです。今までは新海さんが作ってくださったブラシのセットを使っていて、それもすごく使いやすかったんですが、やはり今回の作品は今までとは世界観が全く違うので、それを描くためにはまず道具から変える必要があったんです。丹治さんが中心となって毎日のようにブラシを改良して、それを美術チームのスタッフで共有して使っていました。」
■ブラシを変えると絵も変わるのですか。
廣澤
「変わりますね。圧倒的に変わります。太さや硬さ、筆の先は広がってるのかまとまってるのか、筆圧を感知するのかしないのか、など、いろんな要素がありますが、やはり丹治さんとしてはよりアナログの筆の感触に近いものを作ろうとしていたんじゃないかと思います。「うわっ、丹治さんのこの絵、どうやって描いたんだろう?」って思って聞いてみたら、使っているブラシ自体が違う、なんてこともしょっちゅうありました。丹治さんはブラシの改良とともに絵もどんどん進化していくんです。そこに僕らもなんとか追いつこうと必死でした。」
馬島
「本当にギリギリまで改良を続けていましたね。丹治さんが「最高傑作!」って言ってたブラシが完成したのは、去年の12月でしたし。」
スタッフで共有したPhotoshopのブラシ |
「最高傑作!」と言われたブラシ |
■12月!美術作業が2月末まででしたから、ほぼ制作終盤ですね。
馬島
「それでも改良を重ね続けていたんです。丹治さんはデジタルのアニメーション美術の専門家というわけじゃないですけど、ブラシひとつとってもとことんまで突き詰めようとする。真摯に向き合う姿勢がものすごいんです。新海さんもそうですよね。どこかでアニメ作りを勉強したわけでもないし、アニメの制作会社にいたわけでもない。自分でやり方を考えて道を切り開いて、しかも妥協しない。そういうところは丹治さんも新海さんも似ているなと思いますね。」
廣澤
「絵を描くのがものすごく速い点も似てますね。新海さんも丹治さんも、Photoshopで絵を描いているとき、「元に戻ってやり直す」ということがほとんどないんです。普通ならそれがデジタルで絵を描く利点だって思ったりするでしょう。僕なんかだと、たとえば「ためしにこの色をこういうふうに塗ってみたらどうかな」ってやってみて、「あ、だめだ、うまくいかないや」と思ったら元に戻してやり直す、というような感じなんですけど、お二人は全然迷わないし、ためらわない。どんどんどんどん描いていく。それが本当にすごいなと思いますね。しかも今回は丹治さんが美術監督なので、ご自身の担当分だけじゃなく他の美術スタッフ全員の絵のチェックという仕事もあったのに、一番たくさん描いたのは丹治さんなんですよ。だいたい400枚ぐらい。圧倒的な速さとクオリティの高さですね。」
馬島
「これまでの新海作品の美術とのテイストの違いもぜひ感じてほしいですね。」
ロケハン元写真 |
背景美術画像(馬島 亮子) |
完成カット
不惑パワーで、新たな気持ちで絵と向き合いたい(廣澤)
■馬島さんも廣澤さんもアニメーション以外の分野のご出身ですが、現在の仕事についてどのように感じてらっしゃいますか。
馬島
「私はとことん突き詰めるというよりも、「あっ、これもいいかな、あれもアリかな」って、なんでも面白がっちゃうような気質がありますね。なんでもありというか(笑)。今も、仕事しながら勉強させてもらっている、というような気持ちがあります。もし仮に新海さんの次の作品が美少女いっぱいの萌え~な内容だとしても(笑)、「へえ、それも面白そう」と思ってしまうかも。」
廣澤
「僕は正直、アニメーションの美術に関してはまだ素人という感覚が抜けないんです。新海さんの現場以外を知らないからということもありますが。だから今回、美術スタッフの滝口比呂志さんからいろいろ教えていただいて、発見がたくさんありましたね。滝口さんは、いろんな現場でたくさんの美術監督さんと一緒に仕事をしてらっしゃいますし、滝口さんご自身も美術監督をやってらっしゃる、まさにアニメーション美術のプロですから、求められるものに対して「こうやって描いたらもっと早くて効果的ですよ」っていう引き出しがたくさんあって、これがプロの技なんだな、なんでも描けちゃうんだなって驚きました。だから、僕みたいな素人が新海さんの美術やっていていいのか、っていう後ろめたさを感じることがあるんです。滝口さんみたいなプロでもなく、丹治さんみたいに突き詰めるでもなく、かといってアーティスト活動してるかといえば、自分自身の個展もしばらく開いてませんし、そういう中途半端さに対する後ろめたさがあって……。」
馬島
「廣澤さん、真面目ですねー。」
廣澤
「それでもう思い切って、長年自分のアトリエとして借りていた部屋を解約したんですよ、去年。」
■えっ!そうなんですか!
廣澤
「アトリエを借りているのにほとんど使っていないっていう状態が、ずっと重荷になっていたので、それならいっそ無い方がいいなって思って。画材も処分しました。今40歳なんですけど、40といえば不惑の年だし、思い切ってスッキリと。」
■でも、そうするのにも強い決断が必要だったのではないですか。
廣澤
「不惑パワーのなせるわざです(笑)。だけど、画材が無くなっちゃうと、休日にやることがないんですよね(笑)。それで、カリンバやギターを買ってみたり、エアガンいじってみたり、いろいろやってみたんですけど、最近は「遊びの延長みたいな感じで絵を描くならいいかな」って思い始めて、鉛筆と水彩とかでちょこちょこっと描いたりしています。あんまり個展とか作品作りとかそういうことは考えずに、あくまでも遊びのような気楽な気持ちで。」
■それは素敵ですね。
廣澤
「でもね、いろいろスッキリしたのは間違いないんですけど、これはこれで、このままでいいのか、もっとガツガツしなくていいのか、というような別の意味での後ろめたさもあって……。」
馬島
「廣澤さんはぐるぐる考えること自体が好きなんですよね。だから、この話、最後まで聞かなくっていいですよ。こっちまで真面目に相手して最後まで聞いてたら、「ああー、時間ムダにしたな」って思いますよ(笑)。」
廣澤
「うわー、ヒドイなー(笑)。」
見ている最中よりも見終わったあとに、じわじわと気持ちを噛みしめてほしい(廣澤)
■今回は登場人物も物語もずいぶん今までの新海作品とはカラーが異なっていると思いますが、どのように受け取られましたか。
馬島
「私は、今回の映画、アスナちゃんよりもむしろモリサキのほうが主人公なんじゃないかって感じているんですよ。なんでだろう、歳が近いせいかもしれないですけど(笑)。」
廣澤
「僕もそうですね。スタッフ試写を見終わって、モリサキやリサのことを考えました。今までの新海さんの作品って、登場人物の裏をどう表現するかということに焦点を当てていたと思うんです。物語そのものよりも、むしろ主人公の抱えている背景や気持ちの推移を丹念に描くことこそが主軸になっている、というような性格があると思うんですけど、今回はそうではない。あえてバックグラウンドは見せないように話が進んでいくし、モノローグもほとんどない。だからこちらとしては、それぞれの人物にどういう過去があったのか、どうしてこんな行動をするのか、想像するしかないわけです。でも、よくわからないところもあるかもしれないし、見る時の年齢によっても感じ方が違うかもしれない。だから、できれば何度も見てもらいたいですし、何年か経ってまた繰り返し見てほしいですね。きっとそのたびに、感じるポイントが違うと思うんです。」
馬島
「新海さんのコンテを読むと、正直、私にもよくわからないシーンがいろいろあるんです。「どうしてこういうシーンが入っているんだろう?」とか「この美術って必要なのかな?」とか。自分がその美術を描いているときでさえ、「これ、本当にいるのかな?」って思うことがあります。だけど、最初から最後までつながった映像を見ると、「ああー、なるほど。あのシーンはこのために必要だったんだ!」って全部腑に落ちる。新海さんの作品は、カット一つ一つを取り上げてももちろん美しいと思うんですけど、それがつながって、作画、音楽、美術、セリフ、撮影効果などすべてが合わさったときがやっぱりすごいと思うんですね。新海さん、いろいろ考えて作っているんだなーって思います。あの童顔のいったいどこにそんな深い考えが……。」
廣澤
「いや、童顔は関係ないでしょ(笑)! でも映画を見ているときは「このシーンの意味は……」とかそんなことは考えず、ぜひ流れに身をまかせて感じるままに見てほしいですね。そして映画が終わってから、じわじわと心の底から「あれはどういうことだったのかな」「あのときアスナは、モリサキは、どういう気持ちだったのかな」とか、いろんな思いが湧き起こってくると思うので、それを噛みしめてじっくり味わっていただけたらと思います。何度も楽しめる深くて面白い映画です。ぜひ何度でも劇場でごらんください。」
【インタビュー日 2011年2月15日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】
次回のインタビューは、色指定・検査の野本有香さんです!
|