一枚の絵に対する熱い情熱、とことん突き詰めようとする貪欲な姿勢、それがチーム新海
■今までに参加された新海作品を教えてください。
渡邉
「20歳のときに大学の講師の紹介で『雲のむこう、約束の場所』に初めて参加し、続いて『秒速5センチメートル』、そして今回の『星を追う子ども』が3作品目となります。」
泉谷
「私は『秒速』に参加して、今回が2作品目です。」
滝口
「僕はフリーの美術として主に劇場作品の背景を描いていまして、新海監督の作品に参加するのは今回が初めてです。」
■それではまず初参加の滝口さんからお話を伺いたいと思います。参加される前から新海監督のことはご存知でしたか。
滝口
「もちろんです。新海さんの存在を知ったのは第1回東京国際アニメフェアでした。会場で『ほしのこえ』の予告編を見て「これを一人で作ったの!? すごい人がいるんだな」と思い、下北沢のトリウッドに『ほしのこえ』を見に行ったのが最初です。それ以来すっかり新海作品のファンになり、『雲のむこう、約束の場所』も『秒速5センチメートル』も映画館で見ています。いつか新海監督の映画で美術を描いてみたいと思い、こまめに新海監督のホームページをチェックしていました。「なかなか日記が更新されないなー」とか思いつつ(笑)情報収集に励んでいたんです。それで、2009年12月に「今、新作を作っています」という新海さんの近況報告とイメージボードがアップされた時、僕のスケジュールもたまたま空いていて、「よし、今しかない!」と思い、CWF(コミックス・ウェーブ・フィルム。『星を追う子ども』制作会社)あてに「美術スタッフとして参加したいです」とメールを送りました。」
■新海監督のホームページの一番下に載っている、あのメールアドレス宛に送ったんですか。
滝口
「はい、そうです。普通は知り合いの紹介などで仕事が決まっていくものですが、僕のまわりには新海監督の作品に関わっている人が誰もいなかったので、自分で直接連絡してみたんですよ。そうしたらプロデューサーから返事が来たので、約束の日時に自分の絵を持ってCWFに行ってみたら、なぜかそのプロデューサーがいないんです(笑)。会議室で待っていたら、丹治さん(『星を追う子ども』美術監督。インタビュー♯05)、廣澤さん、馬島さん(『星を追う子ども』美術。インタビュー♯08)がいらっしゃって、皆さんに絵を見ていただいたら「良いですね。じゃあ、スタジオに行きましょう」と言われて。「えっ、いきなりスタジオにお邪魔するの!?」とドキドキしました。さらにスタジオでは丹治さんから「それじゃあ、この絵を試しに描いてみてください」と言われまして……。普段は、まずプロデューサーに自分の絵を見ていただいて、作品の内容やスケジュールなどいろいろお聞きして、それから……という形なので、まさかその日のうちにいきなりそこまで話が進むとは思っておらず、正直驚きました。」
渡邉
「でもそれは、誰でもこんなふうにというわけじゃなくて、滝口さんだったからですよ。滝口さんがスタジオにいらした時、「わっ、アニメの美術のプロがやって来た!」と思いました。あっ、いや、僕たちもプロといえばプロなんですけど(笑)、新海監督の作品の美術スタッフって、いわゆるアニメーション美術業界の出身者はほとんどいないんですよね。「初めて背景美術を描いたのが新海監督の現場です」っていうスタッフがすごく多い。僕もそうだし、泉谷さんもそうですよね。」
泉谷
「ええ。アニメの背景画もほとんど描いたことがなかったですし、パソコンすら触ったことがなくて。とにかく真っ白な状態で新海さんの現場に入りました。「あなた色に染めてっ!」という感じで(笑)。」
渡邉
「……まあ泉谷さんはちょっと極端かもしれませんが(笑)、でもそれぐらいアニメーション美術未経験の状態で新海作品のスタッフになっている人が多いので、新海作品以外の現場を知らなかったりもするんです。ですから滝口さんの描き方を見て、「描くのが速い!」「無駄がない!」「いったいどうやって描いているの!?」ってビックリして、スタッフみんなで滝口さんが描いているところを後ろからジイーッと見ていたこともあります(笑)。」
泉谷
「アッという間に1枚完成していて、まるで魔法をかけているみたいなんですよ。"丹治マジック"に続く"滝口マジック"と名付けたいぐらい(笑)。」
滝口
「そんな大げさな(笑)。これまでのアニメ業界での仕事経験から、いかに効率よく絵を描くかということが無意識のうちに体に染みついているんだと思います。テレビのアニメの場合は、映画と違って毎週締め切りがありますから、1枚の絵にあまり時間をかけていられないんです。自分の中でうまく時間を配分して描かないといけない。だけど、そうなるとどうしても惰性で描いてしまったり雑になってしまう部分が出てきてしまうこともあるので、そこは気をつけないといけないなと常々思っています。今回、チーム新海の美術スタッフの皆さんと一緒に仕事をして、貪欲に一枚の絵に向かっていく姿勢がすごいなと思いました。「時間もないし、これでいいや」ということがなく、一枚一枚に対して真剣に、どこまでも突き詰めて、より良い絵にしていこうとする情熱、その熱い気持ちにふれて「ああ、この感じ! 久しぶりだ!」と嬉しくなりました。もしかしたら業界の中にいて自分でも気がつかないうちにルーチン作業的に絵を描いていたのかもしれないな……と思いましたね。だから、あらためて絵に対する取り組み方を見直す良い機会にもなりました。」
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背景作業が行われていた「2スタ」の真ん中にあるミーティングテーブルの上には、
いつも美味しそうなお菓子が。 |
「開拓者の滝口」「大判の渡邉」「寄りの泉谷」……三人三様の持ち味を生かす
■『星を追う子ども』の絵コンテを読まれた時、どのように感じられましたか。
滝口
「「今までの作品とは違うな。新しいことにチャレンジしているな」と思いましたね。僕は新海監督のファンでこれまでの作品も好きですが、ずっと同じようなテイストの作品を作り続けてほしいとは考えていませんでしたし、逆に、もしも今回の作品がこれまでの新海監督の作品と似ていたら、僕は参加したいと思わなかったかも知れません。」
渡邉
「僕はやはりこれまでの作品との違いに驚きましたね。「これが今回の新海さんのやりたいことなんだ」と、まるで初めて新海さんの作品に接するような、スタッフというよりも一人の観客のような、そんな気持ちで読みました。」
泉谷
「今や日本だけじゃなく、海外にも大勢の新海さんのファンがいるわけですよね。その方々が抱いている「新海監督といえばこういう作品」というイメージを崩して、こんなにも違う新しいものを提示するというのは勇気があるなあと思いました。」
■実際に美術の作業でこれまでと変わった点は。
渡邉
「今回は架空の世界を描くということで、写真レイアウトがなくなったことは作業的に大きな変化でした。これまでのように新宿の高層ビル街やコンビニといった実際の風景写真をもとに描くカットはほとんどなく、長野県小海町でのロケハンで撮影した写真も参考程度でした。新海さんや丹治さんが描いたコンセプトボードや美術設定はありましたが、細かい部分は自分の頭で考えなければならず大変でした。でも、自由に描ける分、演出力も広がったかなと思います。」
滝口
「僕は、美術ボードが全て揃っていないということに驚きましたね。美術ボードというのは、本番背景のお手本のようなもので、これまで僕がやってきた仕事ではたいてい美術ボードが最初に用意されてあり、それをもとにして別アングルの絵を描いたりしていました。 |
美術監督 丹治さんによる 海の遺跡コンセプトボード
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しかし今回は丹治さんから「とりあえず、考えて、描いてみてください」と言われ、こんなに丸ごとスタッフに任せちゃっていいのかな、と思ったほどです。でもその分、みんなで自由に意見を出し合いながら、世界観を作り上げていくスタイルが僕にとってはとても新鮮で興味深かったですね。それと、スタッフの人たちの個性も強くて、それぞれバックグラウンドとなっている絵の描き方の下地が違うので、丹治さんや廣澤さん・馬島さんが、スタッフ一人一人のセンスや得意分野に合わせて描く絵を割り振ってくださるんです。それも面白いやり方だなあと思いましたね。」 |
■皆さんそれぞれどういったシーンを任せられることが多かったですか。
滝口
「僕は、新しいシーンが出てきたときに、一番最初にそのシーンの美術を描くことが多かったですね。とりあえず先陣を切り開く担当という感じで、皆からは「切り込み隊長」とか「開拓者」とか呼ばれてました(笑)。」
泉谷
「私達は、出来上がった滝口さんの絵を参考にしながら、そのシーンの美術を描いていたんですよ。そういう意味では、滝口さんの絵が"私達にとっての美術ボード"のような感じでした。」
滝口
「一番大変だったのは、アスナとモリサキがアガルタに到着して、カメラがグッと引いてアガルタの全景が広がるシーンですね。アガルタの世界を象徴するようなシーンですから、見た瞬間、お客さんに「ああ、アガルタってこういう世界なんだ」ときちんと伝わるような美術にしなければならないので、この一枚の絵にどういう情報を詰め込めばいいのか悩みました。絵のサイズ自体もとても大きくて時間がかかりましたね。」
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滝口さんが担当したアガルタ全景の美術 |
渡邉
「今回はカメラを大きく動かしたり、3D空間に貼り付けて動かしたりするカットが多く、大きいサイズの絵がたくさんありましたね。普通の静止しているカットであればHDサイズの縦横1080×1920ピクセルですが、僕のところにまわってくるのはなぜか1万ピクセルを超えるものばかり(笑)。でも大きい絵のほうが勢いよく描けるので、自分の性分に合っていて楽しかったですね。中でも、アスナとモリサキが狭間の海に落ちてゆくカットは、全部で約3万ピクセルの超巨大な美術で、描いても描いても終わらない(笑)。でも、神の像のデザインなど、自分であれこれ調べて考えて描けるのはとても面白かったです。二人が落ちていくにつれ画面が暗くなるので見づらいんですが、しっかり下のほうまで描き込んでいますので、注目して見ていただけるとうれしいですね。」
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渡邉さんが美術を担当した狭間の海のカット |
泉谷
「3万ピクセルの絵なんて、考えただけで頭が痛くなリますね(笑)。私はカメラが寄るシーンが多かったです。あまり全体を見れるタイプじゃなくて……。学校の図書館のカットを担当しましたが、本に貼ってある図書館のラベルや、架空の文庫名などを考えるのが楽しかったですね。」
滝口
「あんなに存在感のある図書館の絵はなかなかないですよ。普通はある程度パターンを作っちゃって、ごまかしたりもするんですが、泉谷さんの絵はタイトルも本のデザインも一つ一つきちんと描かれてあるんです。」
泉谷
「でも、その分時間がかかっちゃって……やはり効率性と絵の密度を両立するのはなかなか難しいなと思いました。」
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泉谷さん担当のアスナの学校 図書館の美術 |
渡邉
「それぞれにキャッチコピーを付けるとすると、「開拓者の滝口」「大判の渡邉」「寄りの泉谷」という感じですかね(笑)。」
泉谷
「でも、強制的に「あなたはこういうタイプだからずっとこういう絵を描け」と押しつけられるわけじゃなくて、こちらからも丹治さんに「違うタイプの絵が描きたいです!」と言うと、そういう絵も割り振ってもらえるので、より絵の幅が広がる。そういう機会を与えてもらえるのもありがたかったですね。」
パソコンで絵を描くことへの苦手意識……どうやってそれを乗り越えたか
■皆さんがアニメーションのお仕事に関わるようになったきっかけについてお聞きします。まず、渡邉さんは大学でどのようなことを学ばれていたのですか。
渡邉
「僕は大学ではウェブのデザインやプログラムなどを勉強していましたが、もともと絵が好きだったので、絵に関する仕事をしたいなと思っていました。そんな時、大学の講師から「絵を描ける学生を探している会社があるから、行ってみたら?」とCWFを紹介してもらったんです。そこで「新海監督の新作の美術の仕事です」ということをお聞きして、あらかじめどんな監督なのか知っておこうと思って『ほしのこえ』を見たんです。新海さんが一人でパソコンを使って作っているということを知り、言葉にできないくらい衝撃的でしたね。大学でパソコンは使っていましたが、"絵を描く道具"だという認識はなかったので、あんなに美しい美術をどうやって描いているのか全く見当がつきませんでした。プロデューサーから「ためしに一枚描いてみて」と言われたので、新海さんの絵をお手本に自己流で描いて、新海監督からレクチャーを受けるためにご自宅のマンションにうかがったんです。部屋に向かう時、たまたま同じエレベータに乗っていたのが丹治さんだったんですが、丹治さんって見た目がすっごく若いでしょ。だから、「僕と同じ年くらいの学生さんかな」って勝手に思って(笑)一緒に新海さんのお部屋にお邪魔したんです。新海さんが「じゃあ先に丹治さんの絵から見せてもらいますね」っておっしゃって丹治さんの画像ファイルをパソコンで開いた瞬間、僕はもう目がテン! 「うわーっ、なにこれ! めちゃめちゃ上手い!! 新海さんだけじゃなく、美術スタッフの人もこんなに上手いなんて!……ていうか、この後に僕の絵を見るの? ヤバイ!」と汗だらだら(苦笑)。その時に「これはアルバイト感覚なんかじゃダメだ。本気で取り組まないと、ついていけないぞ」と覚悟を決めました。」
■その後はずっと美術のお仕事を続けてらっしゃるのですか。
渡邉
「いえ、在学中はずっと美術の仕事を続けていたのですが、大学を卒業したあと一度別の会社に就職したんですよ。だけど「やっぱり絵を描く仕事がしたい!」という思いが強く、CWFに改めて連絡をとり、新海監督の作品をはじめ、ゲームの背景やテレビ番組のオープニングなどの美術を描かせていただいています。新海作品の美術スタッフには、"出戻り組"が結構いるんですよ。泉谷さんもその一人ですよね。」
泉谷
「私の場合、『秒速5センチメートル』は背景美術の仕事に入る前の段階で一度辞めてますからね。今考えるとかなり酷いと自分でも思います。若気の至りというか、とにかくパソコンが嫌で嫌でとても辛かったんです(苦笑)。」
■泉谷さんは学校では何を勉強していらしたのですか。
泉谷
「私は芸大では油絵科で、人や生モノから出てくる強いエネルギーに興味があって、特に生肉だったり、ド派手でけばけばしい人達や、性別を超えた人達、色々なフェティシズムをお持ちの方々のショーや、新宿のネオン街……そういう派手で混沌としたことに関心があったんです。卒業後はバイトしながら絵を描いていたんですが、知り合いの紹介で廣澤さんとお会いして、「こういう仕事があるんだけど、やる?」と言われて、絵の仕事ならやってみようかな、というぐらいの軽い気持ちで面接を受けたんです。でも、きっと断られるだろうなって思っていました。だって面接の時に「パソコンできません。風景も描いたことありません」って言ったんですよ、そりゃ断られると思いますよ(笑)。」
渡邉
「正直に言いすぎだよ!(笑)」
泉谷
「ところがプロデューサーから「まあ、勉強するつもりで通ってみたらどう?」と言われて、ひとまず『秒速5センチメートル』制作中のスタジオに行ってみたんです。いくら猫の手も借りたいぐらい忙しい状況だからと言っても、パソコンも使えず風景も描けない子が来ちゃって、新海さんも丹治さんも内心ものすごく困っていたんじゃないかと思います(苦笑)。新海監督から「何か分からないことがありますか?」と聞かれても、何が分からないかが分からないという状態で、そもそもPhotoshop用語も知らないので「ここをマスクして……」という指示が出ても「マスクって何ですか?」と聞き返す始末。そんな状態だったので、しばらくの間は動画をスキャンしてゴミをPhotoshopで取り除くという仕事を担当させてもらって、その後、仕上げ(動画の彩色作業)をやりました。どちらの仕事も「パソコンの操作に早く慣れるように」というありがたい配慮だったと思うのですが、私としては「美術の仕事だと聞いていたのに、いつになったら絵が描けるんだろう」とイライラしていました。よく、「パソコンは単なる道具だ。描く手法を変えただけなんだから、そこで翻弄されていたらプロではない。描くということは同じだ」と言われたりしますけど、私にとっては、パソコンを道具として見ることはできなかったんですね。鉛筆や筆ならすぐにできることがパソコンだと全然思い通りに描けなくて、「キィー!!なんじゃこれは!」ともどかしくなってしまって……。それで、「絵も描けない、パソコンもうまく扱えない、自分の作品を作る時間もとれない」っていう気持ちがぐるぐる心の中にあって、こんな状態で働き続けるのは新海監督にも周りのスタッフさんたちにも失礼だし申し訳ないと思い、辞めました。」
■辞めた後、どうされたんですか。
泉谷
「「もうパソコンは嫌だ、パソコンと関係のない仕事がいい」と思って、全然別の仕事に就いたんですが、それはそれでやっぱり大変でいろいろ苦労しながら数ヶ月経ったある日、いきなりプロデューサーから「今何やってんの? 戻ってくる気ある?」と連絡をもらったんですよ。その時、じっくりと考えて、「やっぱり我慢してでもPhotoshopを使えるようになれば、今後何かに繋がるんじゃないか」と思い、スタジオに戻らせていただいたんです。そうしたら、なぜか以前よりもPhotoshopを使っていてイライラしなくなったんですよ。たぶん、しばらく距離を置いたことで、冷静に道具だと思えるようになってきたんだと思います。それからは純粋にどう描くかということに集中できるようになりました。もちろん、新海さんや丹治さんをはじめ、美術スタッフの皆さんにものすごく助けられ支えられて、そういう心境に至ることができたので、恵まれた環境の中でお仕事させていただいていることに本当に感謝しています。」
滝口
「泉谷さんがおっしゃられたような、お互いに教え合ったり支え合ったりする、チーム新海の仲の良さは、僕も今回ものすごく感じましたね。僕は初参加なので、最初は「僕一人だけアウェイだなー」と思っていたのですが、皆さんから毎日「滝口さん、ごはん食べにいきましょう!」「飲みにいきましょう!」って誘われるのでちょっとびっくりしました。美術の仕事って基本的には個人作業だから、今までの現場だとそんなにしょっちゅう仲間と一緒に飲みにいったりすることはなかったんですよ。スタジオに来て、黙々と自分の仕事をして、スウッと帰る、という人がほとんど。でも2スタ(今回美術スタッフが仕事していた部屋の名称)ではベランダでビアガーデンとか鍋パーティとか、イベントが頻繁に行われていて、こんなスタジオあんまりないですよ(笑)。でも、こういうチームとしての仲の良さや濃密な関係性が、今回の絵にも表れていると思いますね。別に飲み会で絵の話をするというわけじゃないんですけど(笑)、風通しがいいというか、皆が自由に意見を言い合えるスタジオの空気があるからこそ、リアルタイムにお互いの絵が成長していく感覚がありました。」 |
2スタで行われたベランダビアガーデン |
中華料理屋のコックから美術業界に転身!? 滝口さんのちょっと珍しい職業遍歴
■滝口さんはどんな学生時代を過ごされたのですか。
滝口
「僕は実家が中華料理屋でして、物心ついた頃から家の手伝いをさせられていたんです。学校でも帰宅部で、家の仕事の手伝いをしていました。」
渡邉
「偉いなあー! 勤労少年ですね。」
滝口
「それが当たり前だと思っていたんですね。だから特に反抗することもなく、高校を卒業したら当然のように実家の店に就職して、中華鍋を振って料理を作る毎日だったんです。でもある日『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年、押井守監督)を見て、作品の舞台である東京の街がものすごくカッコよく描かれていたことに興奮して「こういう絵を描く仕事をしたい!」と決意したんです。でも、どうやって業界に入ったらいいかも分からないし、とりあえず学校に行こうと思い、お店で働いて貯めていたお金で東京アニメーター学院の背景科に通いました。」
■親御さんは反対しませんでしたか。
滝口
「両親は「まあ、好きな勉強をやるだけやったら、どうせ店に戻ってくるだろう」と思っていたみたいで、特に反対されませんでしたね。でも僕としては、遅れてやってきた反抗期とでもいうべきか(笑)「もう戻らないぞ! 自分のやりたいことをやるぞ!」という気持ちで、卒業後はアトリエロークという背景美術の会社に就職しました。そこでテレビシリーズを中心に、いろいろなアニメーションの美術を経験させてもらい、7年後にフリーとして独立しました。」
■デジタルで絵を描く技術はどこで身に付けられたのですか。
滝口
「うーん……どこかで学んだというよりも、独学ですね。学校で勉強している頃はまだアナログが中心だったし、アトリエロークで仕事をしている時もちょうど転換期で、デジタルもアナログも両方あるという感じでした。ただ、徐々にデジタルが増えていく時代でしたので、美術の仕事を続けていく中でやはり覚えざるをえないというか、仕事をやりながら手探りで身に付けていったという感覚です。」
泉谷
「すっごいですねえ……独学で……。」
滝口
「でも技術というのは、デジタルであれ何であれ、やっぱり仕事を通じて身に付けていくものだと思うんです。そういう意味では、僕はチーム新海の皆さんがすごく羨ましいですよ。だっていきなり劇場版の絵をじっくり描かせてもらえる環境というのは、他にはないですからね。僕は業界に入った最初の頃ずっとテレビアニメの美術を描いていたので、初めて劇場版の美術を描いた時には手が震えましたよ。テレビと劇場では絵の密度が全然違うものですから、「これで大丈夫かな? 描き足りないんじゃないかな?」っていう不安が大きかったんです。だから、いきなり映画の美術を描けるなんてすごく贅沢なことだし、この経験は大きいと思いますよ。」
渡邉
「でも逆に、僕たちは「この部分は簡単に仕上げても大丈夫」「ここはきちっと描くべき」という線引きが分からなくて、全部を完璧に描かないといけないような気持ちになってしまうんです。時々他の作品のお仕事をやるときに、「新海作品の美術ほど細かく描かなくてよいので、スピード重視で仕上げてくださいね」と言われても、どこをどうしたらいいのか分からないんです。力の抜き加減が分からないというか……。これじゃあ新海作品以外の美術に対応できないような人間になっちゃいますよね。だから、今回滝口さんのお仕事を見て、「こうすると効率よく、かつ効果的に描ける」という技術を吸収したいと思いました。」
泉谷
「今回はこれまでの新海さんの作品よりも尺が長く、美術の作業量も膨大だったので、「これまでのクオリティを保ちながら、いかに効率よく描いていくか」というのは自分にとっても大きな課題でした。スケジュールも厳しかったので、途中で制作の方から作業の進捗状況が配られるようになったんです。「先週、渡邉さんは○枚、滝口さんは△枚、泉谷さんは□枚描きました」というような表なんですが、それを見ると「やっべー、私、枚数少ない!」という危機感がありました。今週は頑張ってたくさん描かなきゃ、と……。」
滝口
「そういう表って、客観的に自分の仕事を測るモノサシみたいなもので、やっぱり効率よく仕事をしていく上で大事なんですよね。」
事前情報ではなく、自分の目で、耳で、全身で、感じてもらいたい。
まっさらな気持ちで映画の中の世界を冒険してほしい。
■完成した映画『星を追う子ども』をご覧になられて、どのように感じられましたでしょうか。
渡邉
「「アスナは強い子だな」と思いましたね。あんなに小さな女の子が、自分の大切な人を失って、怪物みたいなものに遭遇して怖い目にあって、それでも知らない世界に向かって歩いてゆく……という姿がすごいし、大切なものや大切な人のために行動すること、それが一人の人間としての強さであり本当の勇気なんだと思いますね。アスナの姿を通じて人間の心の強さを感じてもらえるのではないでしょうか。」
泉谷
「新海作品の登場人物は皆、思いが強いですが、今回もそうですよね。アスナは諦めない。だから、危険を承知で地下世界に身を投じる。モリサキも諦めない。だから、奥さんを生き返らせるためなら何だってやる。それがいいことなのか悪いことなのか、正しいことなのか間違っていることなのかは別として、とにかくキャラクターたちががむしゃらに何かをやり遂げよう、自分の思いを貫こうとする芯の強さに感動しましたし、私にはここまでしてやり遂げたい何かがあるだろうか、と自問しました。アスナやモリサキに感情移入してこの映画を見ることで、「私も強い思いを持って何かをやり遂げたい」と、そんな気持ちになる方もいらっしゃるのではないかと思います。」
滝口
「僕が印象に残っているシーンは、前半の、お墓参りをして雪道を歩くシーンです。ここを絵コンテで読んだ時に、胸にグッと迫ってくるものがあり、「この作品は生と死について考えるような、そんな作品になるに違いない」と感じました。完成した映画は、まさに、そういったことについて考える時間を与えてくれる作品になっていると思います。ただ、僕としてはできるだけ事前に情報を集めたりしないで、まっさらな状態で映画の中の世界を冒険するように楽しんでもらいたいですね。僕は美術スタッフですが、「どこどこのシーンの背景がきれいだった」と言われるよりも「いい作品だった」と言われたいという気持ちがあります。だからあまりネットで他の人の感想を検索したりしないで、観客の方お一人お一人がご自分の目で、耳で、全身で、『星を追う子ども』の世界を自由に感じてもらえたら嬉しいなと思います。」
■『星を追う子ども』のお仕事を終えて、今後皆さんがやりたいことを教えてください。
泉谷
「勿論、出来るなら自主制作だけしてたいですよ。でも今は、仕事を通じて現場に行って色々見て経験して勉強したいという思いが強くあります。ちょうどよいタイミングで、面白そうなアニメーションの美術の仕事のお話をいただいたので、現在はそちらの仕事をさせていただいています。現場のシステムがあまりにも今までと全く違うので、いろいろと戸惑っている最中ですが、今後のためにもいろんなことを吸収していきたいです。ちなみにこのページに載せた自画像は今の仕事に誘ってくれた方に超美化して描いていただきました(笑)。」
渡邉
「僕は『星を追う子ども』が終わってすぐ、NHK教育の『中学生日記』オープニングアニメーションを作る仕事に入りました。美術監督をやらせていただいたのですが、こういった責任ある役職に就くことが初めての経験でしたのでとてもドキドキしましたが、監督の田澤潮さんと話し合いながら美術の世界観を作り上げ、いろんなスタッフの方々の個性を活かしながら全体をまとめていくという作業は非常に楽しかったです。また機会があればぜひ挑戦したいですし、僕自身もっともっと絵の勉強をしてレベルアップして、どんな要求にも応えられるようになりたいですね。」
滝口
「今後はアニメーションの背景美術に限らず、実写映画の美術やコンセプトボード作りなどにもぜひ挑戦したいですね。とにかく面白いものを作りたいという気持ちが強いので、業界やジャンルにこだわることなく、面白いアイデアをどんどん出していきたいです。自主制作にも興味はずっとあって、いろいろ企画は頭の中に浮かんでいます。もし作るとしたら、大勢の人たちと一緒にワーワーやりたいですね。いろんな人のアイデアを取り入れて、多くの人を楽しませるような作品を作りたいと思っています。そうするためには、やっぱり人間関係が大事だし、いろんな人とコミュニケーションをとるということがすごく大切だと思います。フリーの人間ならそれが仕事に直結しているといっても過言じゃない。いくら絵が上手くても、人脈がないと仕事がつながっていかないですしね。」
泉谷
「コミュニケーションは大事ですよねえ。だから、もしアニメーション業界を目指す若者がいたら、「とにかく飲み会に行け!」って言いたいですね(笑)。これは別に無理やり飲めと言っているわけじゃないですよ。別にお酒は飲まなくてもいいから、飲み屋には行ったほうがいい。飲み屋という"場"が大事なんですよ。いろんな人に出会えるし、いろんな話も聞ける。今回、スタジオの近所にチーム新海いきつけの飲み屋さんがあって、皆で飲むことが多かったんです。普段あまりお話しする機会のない作画スタッフさんとも、作品やそれ以外のこともたくさん話すことができ、いろんなものを得ることができました。最近の若い人はあまり飲み会に出たがらないとか聞きますけど、やっぱりお酒の場は大事だと思うんですよ。これはまあ、私がネオン街が好きだから、ということも関係してるのかもしれませんが(笑)。」
渡邉
「極端な話、絵の勉強は業界に入ってからでもできるわけですよね。」
滝口
「そう。だから、部屋に閉じこもってコリコリ絵の勉強をするよりも、もっと外に出ていろんなものを見聞きしたり、いろんな人と遊んだほうがいい。新海監督はお一人で『ほしのこえ』を作られた方だから、「他の人の意見を聞き入れない、周りとうまく話せない、ガンコな人なのでは」というイメージを持たれがちだけど、実際には全く逆。すごく人当たりがよくて丁寧で優しくて、スタッフへの気遣いもすごくあるし、仕事場でも飲み会でも積極的にコミュニケーションをとろうとする監督さんです。だからこそ周りのスタッフは、たとえキツい要求がたくさんあっても、「新海監督のために頑張ろう」って思える。どんなに作品が素晴らしかったとしても、人間的な魅力がないと、人は集まらないんじゃないでしょうか。新海監督をはじめ、丹治さんや美術スタッフの皆さんも本当に人間的な魅力のある方ばかりで、一緒に仕事ができてすごく面白かったですし、たくさん刺激をもらいました。ぜひ次の新海作品にも参加できたらいいなって思っています。でも、また4年後となるとちょっと先過ぎるので、新海監督にはぜひもうちょっと短いスパンで次回作を作っていただけたら、スタッフとしてもファンとしても嬉しいですね(笑)。」
【インタビュー日 2011年5月17日
聞き手・構成:『星を追う子ども』宣伝スタッフ 三坂知絵子】 |